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ピーターラビットのSyoCINEMAのレビュー・感想・評価

ピーターラビット(2018年製作の映画)
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「親殺しを愛せるか?」、そんなシリアスなテーマが隠された問題作。これは、被害者と加害者の深い溝を見つめた映画なのかもしれない。

本作は、あの「ピーター・ラビット」の初の実写化作品だ。多分、映画化の話を聞いたとき、もっとほっこりする話をみんなが想像しただろう。僕たちがあのキャラクターに抱いているのは、そういう印象だからだ。
でも、この映画は違う。確かにキャラクターはかわいい。毛並みも見事に表現してあるし、イギリスの湖水地方の眺めも素晴らしい。ちゃんとピーター・ラビットの舞台で物語を紡ごうとしている。
でも、中身は全く違う。一言で言うと、かなりえぐい。シニカルな笑い、ブラックジョークというよりは、かなり直接的な、ある種差別的な「アメリカのやりすぎ感満載」なコメディだ。実際、過激すぎる内容に抗議運動まで起こったそう。

本作のギャグは、はっきり言っていささかやりすぎだ。作中に「配慮」や「思いやり」があったかというと、それはないと思う。例えば食物アレルギーに苦しんでいる人がこの作品を観たらどう思うだろう? 受け入れ難く思うのではないだろうか。
ただ、芸術に描いてはいけないものなんてないし、そこから派生した娯楽映画でも、それは同じだ。だから、本作が笑いを取るためにあえてそういう方法論を採ったこと自体は、別に是も非もないと思う。
ただ、こういう作品で重要なのは、事前に観客にちゃんと周知することだ。僕はそこまでが、作り手の責任だと思う。そういう意味で、この映画はちゃんと警告を鳴らしている。
冒頭、ベタな教育映画風に始まったかと思えば、ハミングしているスズメを吹き飛ばしてピーターがやってくる。そして、「これはそういう映画じゃないの」というメッセージが入る。ちゃんと注意喚起してくれるから、そこまで観た時点で、「これはそういう映画だ」と僕らも準備ができる。だから、その先に待ち受けるものがたとえ道徳的・倫理的になかなかううむというものだったとしても「ちゃんと事前に言ってるしな」と思う。
つまり本作は、ある種ちゃんと真摯に、確信犯的に、えぐみを入れているのだ。それは、製作者なりの原作リスペクトなのかもしれない。原作の中にも、なかなかえぐい描写は多数入っているわけだし。
ひょっとしたら、僕が持っていた「ピーター・ラビット」というものに対するイメージがすでに、何かしらのバイアスがかかった固定観念バリバリのものだったのかもしれない。

爆薬に電気ショックに刃物に、あるいは鈍器でたたきつぶそうとしたり、本作で描かれる動物と人間のバトルはあまりに直接的で利己的で、「シェイプ・オブ・ウォーター」が描こうとしたことはなんだったんだろう……と哀しくなるけれど、これも哀しいことに人間の中にある1つの顔だ。
僕らは蚊が家に入って来たら殺すし、ゴキブリもネズミでも、自分の生活を脅かすものがいたら排除しようとする。そうやって進化してきた。そうやって今がある。そういう部分を全部無視して、動物と人間が手を取り合って楽しく生きていく世界を望むこと自体が、ある種非常に利己的なのかもしれない。
そもそもピーターは、お父さんを人間に殺されて、目の前でパイにされている。そんなキャラクターが、人間を愛せるわけがないのだ。いけすかない人間が来たらぶっ殺すって思うだろう。当然の感情だ。

だから、僕は途中から見方を変えた。この映画は、親を人間に殺されたウサギが、怨嗟を乗り越えて何か確かなものを得ようとする物語なのだと。そう考えると、人間に対するピーターの割と残酷な仕打ちも、しっくりくる。
だって、ピーター側からしたら、自分たちの平和な土地にやってきた侵略者は人間で、テロリストで、極悪人だ。だから、心臓発作を起こして倒れても、心配なんてしない。むしろ、目に指を突っ込んで、死んでいるのを確認して歓喜する。初めて観た時は「えっぐ……」と引いたけれど、あとから考えるとそれもそうかって感じだ。独裁政権がようやく終わったのだ。喜びこそすれ、悼む気持ちなんて生まれようはずがない。

そう考えると、ピーターがマグレガー(ドーナル・グリーソンの方)を異常に憎むのも理解できるし、中盤にあるマグレガーの「俺は変わったのに何で君は変わらないんだ?」というセリフの本当の意味が見えてくる。
何も失っていないマグレガーは、ピーターに歩み寄る余地がまだ心にある。でも家族と土地を奪われたピーターの心は、「人間」に対する憎しみでいっぱいだ。2人は同じ場所に立っていない。
極端な話、マグレガーが何かを失わないと、対等にならない。ぶっちゃけ、「己が血で罪を償え」っていうレベルだ。マグレガーが死ぬことでしか、憎しみは消えない。だからピーターは暴走するし、確実に殺せる方法を選ぶようになっていく。
ビアに対しても、ある種の絶望がピーターを待っている。嫌いでしょうがなかった親の敵である人間を、唯一信じてもいいと思わせてくれた存在。でも彼女は、あっさりと「同種族のオス」に惹かれていく。ここにも、越えられない溝が存在する。ピーターは再び、人間に絶望する。そうして怒りの矛は、マグレガーに向けられる。

本作を観ていたとき、最初の疑問は「なんでここまでマグレガーを憎むんだろう?」ということだ。でも、ピーターが憎んでいたのは、マグレガーというよりももっと後ろにある、人間そのものなのだなと考えると非常に納得がいく。
ピーターが長男であるというのも、大きいだろう。父親を救えた唯一の存在は、自分だったと何度後悔しただろう。どれだけの絶望に苦しんだのだろう。映画の中ではさらりとしか触れられていないけれど、彼のバックボーンは相当重い。

憎しみの連鎖をどこで断ち切るのか。
ピーターが最後に選ぶ手段は、ベタなものなのかもしれない。でも多分、僕らが思うより尊いことをあのちっこいウサギはやってのけた。続編でどういう展開を見せるのか、注視していきたい。