ベルサイユ製麺

夜明けの祈りのベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

夜明けの祈り(2016年製作の映画)
4.1
描かれる内容をよく知らずに観始めて、一気に心に黒雲が広がった。余りに重い。実話です。

1945年。ポーランド。
雪深い12月、人里離れポツンと建つ修道院から1人のシスターが駆け出していく。彼女は医師を探している。但しポーランド人以外の医師を。
彼女は赤十字病院に飛び込み、病人を見てほしいと懇願する。たまたま対応にあたった若い女医マチルドは「フランス人しか診られない」と一度は追い払うものの、病院の外で雪の中祈りを続けるシスターを無視出来ず、彼女と共に修道院に向かう。
そこでマチルドが目にしたのは、臨月でもがき苦しむ若いシスター。とっさの判断で帝王切開でなんとか事なきを得る。…しかし此処には他にも身籠っているシスターが何人もいるようなのだ。マチルドが事情を問い詰めるとシスターは重い口を開く。「この土地がドイツ軍に占領された後、ソ連軍の男達がやって来て…」

もう、本当に途中で観るのをやめようかと何度も思いました。満州の話などでも耳にするソ連軍の極悪ぶり。人間の最も悍ましい姿の一つ。しかし実際は、ソ連軍だけの話などでは当然なくて、太古から凡ゆる戦地で繰り返されてきた事で、残念だけど人がいる限りこれからも永遠に続くのでしょう。
人類の血の繋がりがリセットされたことなんて一度も無い。悍ましい血が自分の中にも眠っている。生まれながらに汚れきっている。その事を認めたくなくて、人間の本性剥き出しのハードな局面からいつも目を逸らしてばかりいるのだ。

以降、物語は
キリスト教の教義と現実問題の間で苦しむシスター達。危険を顧みず診察を続けるマチルド。彼女達の間に芽生える信頼関係。苦悩の果てそれぞれの決断。そして窮地の中で一筋の光明が指す希望的なラストへと続きます。

自分にとっては、最後まで観通した事が本当に微かな一筋の光明ではあるのだけれど、それを眺めているだけではどうにもならないのだろう。目を瞑るか逸らすかすれば一瞬で忘れてしまえるに違いない。本当に嫌になる。

映画はもちろん現実をそのまま再現したものでは無いでしょう。だからなんだよって思う。そんな事で考えることを止めるな。寧ろもっと酷く穢らわしい現実が其処此処に有る。あなたもわたしも、たまたま此処にいるだけなのだ。

見上げ尽くせぬ程に巨大で輝かしい男が、読めないタイミングで踏み出す一歩。下敷きになる沢山の生命は、偶々そのブーツのソールの凸凹で明暗を分けた。ぺちゃんこになった者は不信心者で、無傷で生き残った者は信仰心によって守られたのだ。
しかし、両者の違いを事前に見分ける方法は、無い。