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許された子どもたちのやんげきのレビュー・感想・評価

許された子どもたち(2019年製作の映画)
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これは、人間同士の罪と罰を形にしたメビウスの輪だ。

13歳の少年4人組のイジメがエスカレートして、クラスメイトを殺してしまうが、無罪を主張し証拠不十分で不処分となる。その主犯格の少年のそれから起きた事にフォーカスした作品。

自主製作というだけあって、エンタメ性はほとんどない。監督が描きたかったテーマを鮮烈に描いており、意義深いシーンがいくつも出てくる。

明確なメッセージとしてネットリンチと自主的な市民の代表者という醜悪さと愚かさに多くの分量を割いている。

犯人の市川一家の家のみならず、被害者の倉持一家の家も荒らされていたのは観るに耐えなかった。見方によっていくらでも敵も悪も作り出す事が出来てしまう虚しさを感じた。

だが、本作を観て「ネットリンチなんてやってるやつは一度痛い目を見た方がよい」と口にしてしまったらそれが新たなリンチの始まりになってしまう。

その醜悪さをヨシヒトという、市民の代表者気取りの少年が見事に表している。叩かれるには理由があるという考えからスタートすると、その連鎖からは永遠に逃れられない。

その答えを本作は提示しないし、それらの悪は加害者のキラ共々誰一人裁かれず、暴力の輪廻の中を巡り続けている。

その輪に入りそうで入らない者や、抜けた者も描いているのがすごい。
だが、一様にそれらの人は理不尽な暴力に晒されているのはちょっと残酷過ぎて引いてしまった。

暴力の世界から逃げ回る事は、輪廻に入らないための一つの答えだと私は思う。

本作のインタビューで監督が「もっとも怖いことは、加害者が罪の意識を失くしてしまうこと」と述べており、故に本作は誰一人解放されないのだと思う。

もちろん安易にキラ少年は救われたり再生に向かうことなどないのだが、オープニングが坂を降りるところから始まり、エンディングは坂を上り始めるところで終わる。煙草は罪の象徴だと思うと、あまりにもわずかだが、希望のある話なのかもしれない。


蛇足だが、劇中ずっとケストナーの「飛ぶ教室」の一文を思い出していた。

かしこさをともなわない勇気はらんぼうであり、勇気をともなわないかしこさなどはくそにもなりません!世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、かしこい人たちが臆病だったような時代がいくらもあります。これは正しいことではありませんでした。

-エーリヒ・ケストナー「飛ぶ教室」まえがき より抜粋。
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