エクストリームマン

三度目の殺人のエクストリームマンのレビュー・感想・評価

三度目の殺人(2017年製作の映画)
4.4
「訴訟経済?」

映画出だしの福山雅治では、面会室で微笑んでは吠える役所広司に太刀打ち出来る気がしなかったし、現に出来ていなかったように思う。ただ、6回目の面会で重盛がついに爆発して、ただその勢いの向け先もなく叫んでしまった「頼むよ、今度こそ本当のこと教えてくれよ」にこそ、重盛が福山雅治である意味が凝縮されているようだった。それまで三隅(役所広司)という暗闇を淵から覗いて戸惑っている気になっていた重盛(福山雅治)が、勢い込んで淵を踏み越えてみたところ、そこは穴の中でも暗闇の底でもなく、寧ろそれらの外、さながら船の甲板に上がったように開けた世界であった。その戸惑いと、三隅が獣のように魂で捉えた世界の秘密が、まさしく自分自身の原型と重なることに気づかされてしまった重盛は、居心地の良い船の中に戻ることはもうできなくなった。『クリーピー 偽りの隣人』の高倉(西島秀俊)が映画の冒頭から無意識に振り回していた刃に、福山雅治演じる重盛は寧ろ自覚的なキャラクターであり、だからこそ高倉が西野(香川照之)と真正面から切り結ぼうとした(そして無残に敗れた)ようには三隅と“向き合う”ことができない。強盗殺人の自白、週刊誌への告白、咲江(広瀬すず)との関係、自宅とカナリア、30年前の強盗事件……集めても上手く嵌まらない三隅のピースが、重盛の中で上手く嵌まらないという仕方で上手く嵌ってしまったことが、摂津(吉田鋼太郎)言うところの「いつものお前らしくない」行動へ彼を徐々に駆り立てたのだろう。観客は重盛に寄り添うようにして事態の進行を見守る(見せつけられる)のである程度重盛とエモーションを共有するが、摂津や検事の篠原(市川実日子)から見れば、曖昧な証言を繰り返す容疑者に重盛が翻弄されているように見える。そして何より大事な「司法という船」の航路が脅かされそうになった時、彼ら彼女らは迷いなく、船の「安全」を第一に動く。彼らは、役割は違えど船の乗員なのだ。重盛が証言を翻した際の「調整」シーンが強烈で、「お前のような弁護士が、犯罪者が罪と向き合うのを阻害している」と言い放った篠原が先輩の耳打ちで「裁判をはじめからやり直す」とうような「不経済」な選択肢からあっさり撤退してみせる。それは、彼女の何かしらの信念に反しているのかもしれないが、予定調和で日常的な「敗北」であり、最早負けでも何でもない「風景」なのだ。そういう意味で、『三度目の殺人』は彼ら船の乗員にとっては風景の一部である。