ねぎおSTOPWAR

三度目の殺人のねぎおSTOPWARのレビュー・感想・評価

三度目の殺人(2017年製作の映画)
4.3
おーっ、供述が二転三転する被告人!
役所広司さん凄い説得力!カナリアのくだりなんか本当に飛んでましたよね。上手いよなぁ。舞台役者の真骨頂。日本アカデミー助演男優賞もそりゃそうだ。

そう、主演男優賞以外はほぼ総ナメしたこの作品。・・えっと、福山さんも頑張りました。


こういった考えさせる(もしくは考える余地がある)映画は、「哭声」はじめ、カンヌ他ヨーロッパの映画祭にはウケますね。やはり是枝監督は日本映画の進むべき道を示してくれていると言ったら大袈裟でしょうか。

接見時、ガラス越しに何かが映りこむように見え、最後ははっきりと二人の顔を重ね合わせ、またすーっと離れる表現をしたりと、お見事な映像でした!

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さて真犯人は誰なのでしょう?
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事件のこと、以下書いていきますので、未見の方はご遠慮ください。


<第一の殺人>にあたるのは留萌での事件。<第二の殺人>は今回の河川敷殺人。ではタイトルでもある<第三の殺人>とは誰が誰を殺したのか?
まずは前提。
第一、第二共に実行犯は三隅(役所さん)でいいと思うんですよね。根拠はあの十字。カナリアのお墓との共通性。でも特にキリスト教でもなく、十字であることに意味はあるのか??
次に留萌の情報。
・当時やくざが労働者の足元をみて高利貸しをしていた
・刑事、裁判官、それぞれに三隅への印象は違う
・「器のような・・」というキーワード
第二の殺人の調査の混乱・
・接見当初より淡々とした三隅
・週刊誌に被害者の奥さんからの委託説
・象のはなし
・食品偽装
・被害者はわが娘をレイプしていた

つまり、三隅には周囲の人間の怒りがまるで器のように吹きだまる。人一倍の正義感は私憤をまったく伴わず悪人に向けられる。(よって裁判官に憧れを抱く)つまり苦しむ労働者の仲間のために実行された第一の殺人。通常の怨恨でも金銭でもないから理解できない検察、警察。真実よりも戦術として事件が扱われ、決着した事実。
第二の殺人は妻のこともそう。娘の気持ちもそう。言葉にしなくとも、依頼なんてしなくとも三隅には怒りが伝わる。食品偽装で騙された人々の気持ちも。
だから二転三転するように見える三隅の言葉や、出て来る事実は、全て真なり。妻のため娘のため人々のためでもある。これらを正直に話さないのは第一の殺人のときから続く司法への疑いが原因?「どうせ真実なんか関係ないんだろ?勝手に話は進むじゃないか」と。
そして唯一「わたしはやっていない」というのはウソではないかと。咲江(すずちゃん)の訴えについて接見時聞いた三隅のアップ。一瞬何か反応しかけて、無言を挟んで「わたしはやってない」だった・・。

判決後の最後の接見。重盛の問いかけを否定した三隅。「そんなんじゃないよ」と。
咲江に実の娘を見たから・・という解釈もあるかもですが、わたしの中の本命は、無罪あるいは出所できる刑罰を恐れたからではないでしょうか。出所したらまた人を殺してしまうから。<三度目の殺人を回避したかった>のでは?
だからそんな人間じゃないよと笑ったのではないでしょうか。
すると当初から刑罰にはなんら関心がなかった感じなのも筋が通るわけですよね。

結局重盛は三隅の本心を知ることはできず、弁護士になって初めて心に寄り添おうとしたのに「信じてくれ」と言われたことの意味もわからず。
判決後の握手は無事死刑を取れてありがとう!という意味?そして意味わからず困惑する重盛。
ラスト十字の上で立ちすくむ重盛。


結論としては三度目の殺人は期せずして三隅自身になった。
すずちゃんの気持ちが乗っかっていたので同じように頬に返り血を浴びた描写。重盛が頬をぬぐう描写は、三隅が死ぬことになった三度目の殺人の実質実行犯になったから。

あと残ったのは足の話。
生まれつきなのか屋根から落ちたのか・・。これは単なるミスリードなのか??
《付記》
咲江の足、屋根から落ちたと言い張るのは、落ちたカナリアということ?
すると死刑判決を受けた三隅の退廷シーンでカナリアを飛ばすアクションは咲江のこと。