ベルサイユ製麺

三度目の殺人のベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

三度目の殺人(2017年製作の映画)
4.1
※何かピンと来ない…と思って放置していたレビューですが、地上波でやる事に気がついて慌てて出します!うう…カッコわりぃ。


♨︎知恵熱でる…
心の上面にLEGOの透明パーツがパチパチと積み重なっていって、アレは透明という事になってるけど当然完璧透明なワケではないので、最終的に心の有様は結局サッパリ窺い知れなくなってしまった。的な。

タイトルやジャケットアートから漠然と“心を掻き乱す大感動作”の様な勝手な印象を持ち鑑賞に臨んだのですが、これが全く違う。実際は“脳を掻き乱す傑作人間ドラマ”に思えました。
是枝作品としては珍しく明確な目的に向かうストーリーが有り、結末・解決パートへの求心力で引っ張る形の、言わばエンターテイメント作品の様なフォーマットに則って進行します。ストーリー解説は、なんか気恥ずかしいのでしません。

⚫︎主人公:弁護士(とにかく刑を軽くしたいマン)
⚫︎殺人の犯人(唯一事件の全貌を知る)、⚫︎被害者(犯人は知っているが死んだ)、⚫︎参考人(断片的な事実を知るだけの人)、⚫︎検事(遵法精神に則りたいマン)、⚫︎裁判官(さっさと白黒ハッキリ決めるマン)…これらの人々がそれぞれの持つパーツと考えを持ち寄り、犯人の自供と重なるストーリーを完成させる事が出来れば、自動的に量刑が確定する。ただそれだけの事なのに、何がそれを困難にするのか。
犯人三隅(役所広司)の自供内容が変化するたびに事件の全体像が揺らぎ捻れる。誰かが本当の事を述べていない。というか、そもそも法廷のシステムが全てを話す様に設計されていない。そこを三隅が更に揺るがしにかかる。何のために…?
法廷は最後の最後まで混乱し続け、関わった者全ての心に澱を残すのですが、機械的に法廷はまた次の案件に。
終盤の裁判官・検事・弁護側のお約束感は、本当に悍ましく不愉快極まりなくて、ここの部分はストーリーのメインの流れとは独立した是枝監督自身の意思表明が窺えた様に感じました。
実際、その杓子定規なシステムを利用し判決をコントロールし得たのは、三隅だけだったワケで、そう考えると事件の真相は明白と言って良いと思います。三隅はやるべきと感じた事を完全にやり遂げたのだと。どこまで自覚的に、かは計り知れないけれど。

是枝作品はいつもの事ながら怪獣役者達による演技バトルが見ものです。役所広司無双。弱々しいオーラの優男風かと思えば、ある時はキリストの様に光を纏い、またある時はアントン・シガーの様に不気味な笑みを見せる。この役柄はちょっと他に出来る人が思いつきませんでした。広瀬すずの“器”感も圧倒的です。間違いが、起こりそうな、雰囲気。三隅の供述に合わせて、違って見えてしまう玉虫色の表情。底知れません…。いつか彼女が母親役を演る日が来るのだと想像すると本当にワクワクゾクゾクします。そして個人的に感嘆してしまうのは、否応無く漂ってしまう自らの胡散臭さ、軽さを(再び)見込まれての配役である事を自覚した上で、それを貫徹してみせる福山雅治の胆力。万能型の役者では決してありませんが、彼にしか出来ない役柄が確実に存在します。断固支持。
映画そのものの出来の良さは言うまでもありません。映し出される全てのパーツに無駄が無く、完璧に組み合わされている。おかしいところが一つも無い。恐ろしいほどにスムーズに展開し、この重いテーマの作品にまるでジャンル映画の様な高揚感を持たせています。コレ、いつも我々がそうするみたいに、海外の映画ファンたちに“パルムドール獲ったコレェーダ”の過去作として触れてみて欲しいですね。
二度と描写する“アクリルに反射して重なる2人の顔”。その向きに、見事に三隅の“器”性が反映されています。その時良いと思った立場を演じる。かくして三度目の殺人は達成される、…という事であってるかな?不安…。知恵熱出る…。
観終わった直後より、レビューを書いてるうちにだんだん評価が上がっていきました。取り敢えずここまで!
あー、誰かと話したい!