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ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラのneroのレビュー・感想・評価

3.5
近代建築の巨匠ル・コルビュジエをこれほどイヤな男として描いた映画なんてなかったろう。作中では自身とアイリーンの経緯についての、そして自分の内面についての”語り部”としても配される。ただし、本作はあくまでも謎多き天才デザイナー、アイリーン・グレイの半生と愛を描いた映画である。

芸術面で大きな変化が続いた20世紀初頭。特に1920年代のヨーロッパと言えば、それまでのアールデコから、バウハウスを筆頭とするモダニズムへと移行する大きな潮流がほぼ全ジャンルを席巻していた。
気鋭の家具デザイナーアイリーン・グレイが前衛建築誌の編集長であった恋人ジャン・バドヴィッチと出会い、二人の家として初めての建築、海辺のヴィラ「E.1027」を自ら手がけることになるのもまさにこの頃だ。そして彼女はジャンの友人であるコルビュジエに出会う。

両者ともにモダニズムを目指してはいても、「住宅は住むための機械である」を標榜し、居住機能を包括する工業製品としての建築を目指すコルビュジエに対して、生活を包む殻としての”家”を目指すアイリーン。家具からキャリアをスタートした彼女にとっては、よりユーザーに近い視点を中心に据えることは当然だったのだろう。

「近代建築の五原則」を発表し、新進の建築家として注目されつつあったコルビュジエ。アイリーンも彼を認め尊敬していたという。対立することはなかったが、渾身のコンセプトを否定し、それでいてなお優れた作品を生み出すアイリーンを、コルビュジエは全面的に認めることはできなかった。彼もまた天才ゆえに彼女の天才性に魅了されるが、その独善と傲慢な性格も災いして、羨望から嫉妬へと歪んでいく。全編で感じるのは、コルビュジエからアイリーンへの一方的ないらだちのような思いだ。

コルビュジエは9才下ではあるが、恋愛感情がまったくなかったとは思わない。だが、アイリーンの視線は仕事と"女好きの"ジャンにしか注がれていないし、バイセクシャルであり、友人の恋人である彼女は焦がれてなお届かない。さらに相手はすでに”成功した”デザイナーなのだ。その苦しさは理解できるような気がする。
そしてその思いは増殖し反転して、自分の作品であったはずであり、彼女の存在のイコンでもある「E.1027」そのものへ向かう。”結果として”死に場所に選ぶほどに。あの強引とも見える壁画も、彼女を自分のモノにしたい欲望の代償行為、あるいは承認欲求によるものだったのかもしれない。
実際、コルビュジエは、「E.1027」やサイドテーブルなどを自分の作品であるとは明言していない。たとえ世間が誤解するように仕向けていたとしても・・・。それは創造者としての矜持の部分なのだろうか? それとも‥。

アイリーンの側も、性格なのか、自身の権利や名誉についてあまり執着しているようには見えない。他者の評価より、自分と自分の大事な人間が心地よく居られる空間を創る、それのみがモチベーションなのか。後年、自分の作品が高額で取引されたことに対して、原題にもなっている『欲望の値段ね』と、呟くように放たれた彼女の思いが全てなのかもしれない。

本作と同時に製作されたというドキュメンタリー映画『アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー』も是非観たいのだが、当地での公開は未定の模様。

気になったのがシャルロット・ペリアンがジャンの恋人(?)として登場していること。彼女ってコルビュジエのパートナーだったんじゃ? あのLCシリーズのデザイナーだよね。よく解らんなあ。
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