Inagaquilala

シチリアの恋のInagaquilalaのレビュー・感想・評価

シチリアの恋(2016年製作の映画)
3.3
イタリアかぶれの映画小僧はまんまと騙されて劇場に足を運んだ。「シチリアの恋」というタイトルだが、主人公の男女はシチリアで会うことはない。一緒にシチリアに出かけることもないし、この地に忘れがたいふたりの思い出があるわけでもない。むしろ過去形で綴られる英題の「Never Said Goodbye」のほうがこの作品の本質を射抜いている。

建築事務所に勤めるシャオユウとジュノのラブロマンスの物語なのだが、前半は主に女性の視点で、後半になるとガラリと変わり男性のそれで語られる。この視点のチェンジは意外な場面から行われるので最初は気づかないかもしれない。

この形式が良いのか悪いのか論議は別れるところだと思うが、自分はあまり満足できなかった。作品を見てもらえばわかるのだが、男性の語る過去のストーリーは、たぶんに後出しジャンケンのようなかたちとなるので、せっかくのロマンスもかなり色褪せてしまう。いくら昔を振り返っても、そのシーンはあまり心に突き刺さらない。悲劇を明るく演出しようとしている努力はわかるが、せっかくの愛を育むシーンが、謎解きのようなものになってしまうので、まったく盛り上がらない。形式に無理があったのではないかと思われる。

シャオユウは内輪のパーティーの席で、突然、恋人であり同棲もしているジュノのイタリア行きを聞かされる。ジュノは韓国人で、国際結婚をした姉夫婦と一緒にシチリアに住んでいたが、上海に留学に来た。そこで知り合ったシャオユウと一緒に同じ建築事務所に入りバリバリと活躍してたが、今度は突然イタリアに帰ってオペラを学びたいと言い出したのだ。

ジュノはシャオユウを上海に残してひとりでイタリアに出かけるが、それ以来、連絡もない。悩めるシャオユウの元に突然、ジュノが事故で死んだという知らせが。あまりの悲しみから葬儀に出席することもできなかったシャオユウだったが、ジュノの行動には意外な秘密が隠れさていた。

前述したように、前半は女性であるシャオユウの途惑いと悲しみが彼女の視点で描かれていく。ジュノが手がけていた新規オープンの店の内装をそのまま引き継いで作業を続けていくシャオユウ。彼女の前にいくつか不思議な出来事が起こるが、それが後半への伏線となっていく。

あるシーンから今度は男性であるジュノの視点に切り替わり、物語はいつのまにか過去のふたりの出会いから幸せな暮らしまでが語られていく。本来なら恋に落ちたふたりのラブロマンスが胸に響くはずなのだが、ここが妙にそらぞらしくなってしまう。このシーンが女性視点である前半に少しでもあればまた生きてくるのかもしれないが。

結局、ヒロインがシチリアの地を踏むのは、すべてが終わってから1年後。そこで彼女は実際に恋人と会うことはない。このシチリアの海はとても綺麗だ。それだけに妙に空々しさだけが残ってしまった。最後まで、何故シチリアなのかはいっさい不明で、とってつけたような舞台設定の感じは否定しようもなかった。ということで、イタリアかぶれの映画小僧はかなりの消化不良のまま、劇場を後にした。
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