ジャン黒糖

サマーフィーリングのジャン黒糖のレビュー・感想・評価

サマーフィーリング(2016年製作の映画)
3.7
監督で観る映画。
今回はミカエル・アース監督①。

この映画を観たのは2月ごろなので実は若干記憶が薄れつつあるのだけれど、これ以上忘れないようにここに記しておきます。

【物語】
ベルリンで生活をしているローレンスはある日、恋人サシャを突然亡くす。
隣国フランスに暮らす彼女の妹・ゾエをはじめとする親族は、彼のもとに訪れ、それぞれサシャとの別れを惜しむ。
あまりにも突然の死別に、心の整理が追いつかないローレンスとゾエ。
ベルリン、パリ、ニューヨーク。3つの都市、3度の夏を経て喪失から再生していく姿を紡いでいく。

【感想】
とても静かな映画だった。
いつもの日常を送っていたローレンスとサシャだったが、何気ない日に唐突にも彼女の死は訪れる。

突然の彼女の死に、ローレンスも、ゾエも、彼女の親族も、激しく号泣するわけでもなく、慟哭するわけでもない。
まだ若い彼女がなぜこの世を去ってしまったのか。
頭では彼女の死を理解・認識していても、日常が淡々と過ぎていく分、心が追いつかない。

この映画は主人公ローレンスを中心に、突然恋人を亡くしたベルリン、彼女を亡くした喪失感からまだ完全には立ち直れていないまま気分を変えるために訪れたパリ、そして仕事・友達と徐々に死を乗り越え自分の新しい生活の基盤が出来始めたニューヨーク、という3つの都市を、3度の夏を通して描く。

この映画、当然のことながらベルリンのパートが物語的には悲壮感に漂う。
ただ、映画が撮らえる街の風景などは常に光が美しく差し込み、不思議なことに、映画のトーンとしては常にどこか明るい希望をたたえている。

ベルリンの彼女と同棲していた家から見た街並み、フランスのアヌシー湖、そしてニューヨークの街区。
特に避暑地でもあるというアヌシー湖は山並みも相まってすごく美しい景観で、幸いなことに今年我が家に導入したホームプロジェクターでその美しい景色を大画面観ることができて本当に良かった。


最初のベルリンから、2年後の夏ニューヨークまで、話は淡々としているけれど、ローレンスが徐々に自分を取り戻していく姿はとても共感できた。
自分は同じ経験をしたわけではないけれど、でも人が大切な人を、意味もわからず突然亡くした時、それは何か明確なきっかけがあって元気になっていくわけではない。
こうして、淡々と積み重ねていく日常の変遷こそが、彼の心を癒していくことに繋がる。


主人公にとって大切な人を突然亡くしてしまうところから物語が始まり、そこからの再生していく姿を描いているところからも、同監督の次作『アマンダと僕』にもプロットがかなり似ている。
(ちなみに日本での公開は本作の方が後だけれど、製作は本作の方が先)

ただ、『アマンダと僕』が大切な人を亡くした甥と姪同士が、擬似親子的に生活していく中で段々と互いに未熟な部分を補いながら日常を取り戻していくのに対し、本作では、ベルリン・パリ・ニューヨークで過ごす3度の夏、という時間の経過による癒しがある分、人と人との相互作用の要素は、実は次作よりは淡い。


『アマンダと僕』における主人公にとっての姪、にあたるのが本作の場合、亡くなった恋人サシャの妹ゾエになるわけだけれど、彼女ももう夫も子供もいる大人だ。
だからこそ、ローレンスとゾエという、『アマンダと僕』よりは、より理性の働く大人な話へと本作の場合、昇華されている。

ゾエも、姉を亡くした悲しみはあるけれど、一方で夫との関係もうまく行っていない。
そんな折、自分と同じように悲しみを抱えたローレンスと、気持ちが通じ合うことで築く関係は、バランスの取り方が難しい。

その、付かず離れずの2人の関係は、ベルリン・パリ・ニューヨークという、異なる地で過ごす2人の姿として印象的に映える。


主人公ローレンスを演じたアンデルシュ・ダニエルセン・リーさんは、公開中の(めちゃくちゃ観たい)映画『わたしは最悪。』のヨアキム・トリアー監督作にも多く出ているノルウェーはオスロ出身の俳優さん。

彼の、あまり言葉を発し過ぎない、悲しみを抱えた、けど過ぎていく日常の中で乗り越えていこうとする表情、後ろ姿にグッとくる。

映画のラストシーンは美しく、生きることのエネルギーを感じさせもする。
冒頭描かれる彼女の死の唐突さに象徴されるように、お話そのものはとても淡々としているけれど、ただ、寄せてはかえす波のようで、心に残り続ける、恋人を失った喪失感がどこか忘れられずにいる、絶妙に切なさも残るラストだった。
ジャン黒糖

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