emily

家族の食卓のemilyのレビュー・感想・評価

家族の食卓(2016年製作の映画)
3.9
引きこもりで精神的な病を抱える30代のセドリック。ある日家族の集まりで姉が自身の妊娠を告げるが、セドリックは自身の存在を家族に問い、幸せな雰囲気をぶち壊していく。勝手な被害妄想は、思わぬ大惨事を引き起こし、緊迫した空気と会話のやり取り、罪の擦り付け合いにより生み出す家族ドラマ。

 冒頭から青白い色彩に包まれ、ピーンと張り詰めたシーツの干された部屋で、ランニングマシンで走ってるセドリックの後ろ姿から幕開けする。まるでのぞき見しているようなカメラワークに、それはセドリックが家族を見つめてる目と交差していく。彼の後ろ姿だけをとらえていく。感情は全く読めない。しかしそこには感情が通っていないことを後姿からも読み取れる。親の言う通り動き、家族のほほえみあう会話の中には入れない。彼が登場すると、すーっと空気が変わる。色彩もそうだが寄り添う音楽も不穏感を膨張させ、徐々に徐々に緊迫した空気感が限界の所まで押し上げられていく。その空気感に観客も同じように息苦しくなり、一人ひとりと食卓を立っていく家族のように、見るに耐えないセドリックの支離滅裂な言葉の数々に目をそむけたくなる。

 家族に感情移入していくが、彼自身も家族の被害者であり、抑えつけられてきたことが徐々に明らかになっていく。叶わない旅行の話、感じてきた孤独感と、被害妄想、そこから幸せなニュースが扱われない姉の不満も交差していく。誰もが被害者で、だれもが当事者である。言葉にすることを避けてきた罰が衝突し、はじける大惨事で感情移入の対象がコロコロと変わり、張り詰めた空気感におぼれそうになる。それぞれの闇の癒しが断片で交差し、それでも日は明けて、新しい一日なにの変りもない一日が始まる。傍からみたら幸せに見える家族にも、誰にも話すことのない苦悩があり、その解決法がある。それは家族自身にしかわからない。それを覗き見ることで、自分の家族との共通を見るのだ。

 まるでサスペンスからホラーへシフトしていくような、家族である安心感からの絶妙な距離感とひりひりした空気感が全編に嫌というほど漂っており、目を離したくても離せない引き込む色彩と音の効果の交差が絶品だ。
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