銀幕短評(#515のところ、初見回次に戻して#175)
「A GHOST STORY」
2017年、アメリカ。1時間32分。
総合評価 73点。
死後の世界がこの世界。もし いたければ、いたいだけいればいい。
これはね、むずかしかったですね。なにかというと、公開当時 映画館で起きている(目覚めて観る)ことが。つかれ果てていて、激ねむくて。そのときの感想文を本文下に再録します。
うまれたひとはかならず死ぬ。じぶんの寿命を生き長らえたすえに。 「人魚の眠る家」(#323)で書いたとおり、もし未練がある限り 死は納得がいきません。本人にせよ残されたひとにせよ。だから未練が去ったときに ほんとうの死がくる。その未練が仮に時の長さの制約を受けないのだとしたら、それはきっとくるしいと思います。くるしいと思わないくらい長らえるのは、もっと苦しい。
彼女を愛しているのであれば、シンプルに彼女のしあわせを願うことが自然ですね。さらなる未練にまみれてはいけない。長広舌(ちょうこうぜつ)のおとこは 宇宙も原子も いずれは無意味だという。しかしゴーストは、そうではないと抗議する。じぶんの存在意義がうしなわれることを恐れて。
仮に、生きているひと ひとりひとりがゴーストになるのだとしたなら、つまりもしわたしたちが未練をつづけるのならば、ゴースト(亡霊)はこの世に無数にいるわけですね、過去もいまも未来も。それはそれで 生きにくい?あの世だと思うな。
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銀幕短評 (#175)
「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」
2017年、アメリカ。 1時間 32分、公開中。
総合評価 計測不能。だが あえていうと38点。
(中略)
ヤバいと先に書いたのは、ここ何日かの かなりの睡眠不足。静かな映画はヤバい、セリフの少ないのはヤバい、展開のスローなのはヤバい、超長回しのシーンは超ヤバい。そのたびに あらがいがたい睡魔に引き込まれる。一回の睡眠はたかだか10秒20秒くらいだと思うのだが、きょうはやたらと回数が多い。たぶん上映時間の 1/3は寝ている勘定だ。
ヒロインがパイを食べるシーンでは、なんど寝ても起きても 寝ても起きても ずっとパイを食べ続けているので、「あ、このひと1皿ぜんぶ食べるぞ」と半覚醒のなかで理解した。
自分を叱りつけても、何度もなんども意識が落ちてしまう。そのたびにどうして自分はこんなところでこういう中途半端をやっているのだろうと 自己嫌悪になってくる。ケイシー・アフレックの かすれ声の陰気な芝居も苦手なのだ、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」(#83、63点)のように。
すると不思議なことに、次第に いちいちの入眠のつど 夢をみるようになってくる。映画のストーリーに関係する筋の夢もあれば、かなりはずれたショートストーリーもある。それらの夢たちを 目覚めるたびに目の前の映画と無意識にすり合わせて融合させる。で、また次の眠りに引き込まれる。
この夢うつつのシンクロニシティというか トランス状態は初めての映画体験だ。わたしが ゴーストにでもなったのだろうか。おもしろいといえば とてもおもしろい。でも映画の採点対象には入れられないな。
ラッキーなことに、ラストのラストの締めくくりシーンには、ぱちっと目が覚めて ちょうど立ち合うことができました。フワッと。
でも あれって何て書いてあるのですか?
どなたか教えてください。
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ながーいコメントを書きました。
たいせつだと思って。