うべどうろ

夜明け告げるルーのうたのうべどうろのレビュー・感想・評価

夜明け告げるルーのうた(2017年製作の映画)
3.2
まず第一に、きっとこれは東日本大震災の犠牲者に対する弔いの「うた」であり、残された方々に捧げる「うた」であることはまず間違いないのでしょう。海で命を落とすということが、神話的に昇華され、その向こう側にある希望的かつ想像的な物語の世界には、確かにアニメーションとしての使命を強く感じる部分があった。

しかし、である。あまりにも、キャラクターの造形、世界観を支えるディテール、物語としての確固たる強さのようなものが、蔑ろにされてはいないだろうか。どのシーンで描かれる感情もとても突発的で、キャラクター個人の内部的なトリガーにのみ支えられてしまっている印象を拭えない。その説明不足こそ、「物語る」ことへの懈怠であって、湯浅政明という「音楽」への信仰を充分に念頭においたとしても、流石に受容できないものであった。このことは、本年公開された『犬王』にも繋がる部分であって、そこを超越した傑作『音楽』に及ばない点であるのではないだろうか。

最後に、この作品は明らかに宮崎駿の「崖の上のポニョ」を想起させる。それは、東日本大震災という、現代を生きる日本人にとって唯一絶対的に共通した記憶に迫るクリエイターとしての矜持であって、そのことはなんら謗りを受けるべき性質ではないように思われる。この時代、日本で「クリエイト」する全ての作家が、あの出来事に目をむけるべきであるし、それを弔い、それを考える作品を残すことに、その使命を感じることは、とても自然な姿勢であると思うからだ。
その上で、ここで一つの作品を提示しておきたい。それは、夭逝した天才アニメーション作家「今敏」の漫画家としての処女作『海帰線』である。この作品は、開発がすすむ漁村を舞台に、伝説として語られ続けた人魚というモチーフを主軸として、それを守る若者と、それを奪う大人たちの関係が描かれる。僕が思ったのは、この作品こそ、本作の元ネタともいうべき類似性をもち、湯浅政明と今敏という関係性を考えるのであれば、そこに影響を勘繰らずにはいられないということである。『海帰線』は1990年という、東日本大震災より遥か前の作品であり、2011年に指摘されていた「伝承」の方に分類される存在であろう。そのことの背景に、今敏が釧路という港町で育ったことが想起されるとともに、本作がただの「弔い」をこえた、「教訓」としても残り続けて欲しいと願うばかりである。
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