がぶりえる

羅生門のがぶりえるのレビュー・感想・評価

羅生門(1950年製作の映画)
5.0
perfect movie。脚本、演出、演技、全てが完璧すぎる文句無しの傑作。監督デビューから僅か7年でここまで凄い所に到達できる監督は黒澤しかいないだろう。

人間の愚かさ、浅はかさ、醜さ、そして、欲深さをここまで強烈に、そして、的確に暴き出す作品が他にあるだろうか。この映画に象徴されるテーマやキャラクターの心情は日々自分が実感している事に極めて近い。この映画の映し出す悲劇に嘆きながら、自分もその中の一部であることを痛感させられるのだ。
さらに凄いのは、この映画が作られたのは70年以上も前であるということ。時代を越えて通ずる人間の真理に迫った作品であると言える。色褪せない傑作。

藪の中の三人各々の視点で語られる真実と嘘。人間は自分の損得感情や欲望のために、他人を貶め、虚勢を張り、そして真実を加工する。そのために、人間はお互いに疑り合い、信じられなくなってゆく。そんな生き方しかできないなんて…なんて哀しい世の中なんだ…

しかし、この映画の本当に素晴らしいのはラスト。ラストに至るまでに描いてきた様々なテーマの全てを汲み取った上で、「人間はどのようなに生きていくべきなのか?」の答えを突き付けてくる。雨が止み、空が晴れたところで、志村喬が赤ちゃんを抱き抱えながらこちらに向かってくるシーン。あのシーンで、「確かに人は信じられない。だが、他人を疑うのはとても愚かな行為。だから、残酷な真実より形の良い嘘の方を信じて生きていく他ない。」ということを突き付ける。
志村喬が最後に嘘をついていたのかどうかは分からないが、ただあのシーンを疑いの心なしに、晴れやかな気持ちで見つめなければならないのが人間という欲深い生き物との付き合い方なのだ。

さらに皮肉なことに、あのラストシーンはこの映画で唯一希望に満ち溢れたシーンと言えるだろう。疑い合いの絶えない暗い世の中に明るさを取り戻す方法は嘘に目を瞑ることで、人間がお互いに信じ合うことである、とでも言っているかの様だ。

なんというか、あのラストシーンを初めて観た時、「もう、逃げ場はない」という気持ちになった。将棋で言う詰みの様な感じ。「僕たちはこういう風にしか生きられかいのか…」と本気で思えるぐらいの凄まじい説得力のあるラストだった。呆然。観終わった後、しばらく座り込んで色々考え込んでしまった。