フラハティ

羅生門のフラハティのレビュー・感想・評価

羅生門(1950年製作の映画)
3.7
降りしきる雨。
羅生門で雨宿りをする男が三人。


「わからねぇ。さっぱりわからねぇ。」
人とは一体何か?
本作が舞台である平安時代から現代までで、技術や文化は発達してきた。
じゃあ人間は発達してきたのか?
今も昔も変わらないんじゃないか?

四人の証言による事件。
真実は一人の男が死んだということだけ。
四人の人物から語られる概要はバラバラで、真相は藪の中。
同じ事件なのに、それぞれ全く違う物語。
だが一人の男が死んだことには変わりない。


僕が初めて触れた黒澤作品。
三船敏郎も京マチ子も初めてだった。
その怪演と力強さに、自分が生まれる遥か昔に存在する、まだ観ぬ日本映画に思いを馳せた。

何が真実なのか知りたい観客の気持ちを巧みに利用。
たった一つの事件なのに、違った目線で描かれることで浮き彫りになる人間のウソと見栄。
どの内容も真実のようで、次の話がウソのように感じる。
でも結局どれが真実かわからない。
いつの世も変わらず、ネット社会の現代ほど真実の曖昧さと、人間の本質といったものが問題となっている。


争いの末に残ったもの。
何のために闘い、何のために命を落としたのか。
それぞれが自身の正当さを主張したとしても、たとえそれが正しくとも、それが何だというのか。
戦争が終わり、五年が経った日本。
当時は復興の途中で、羅生門のように崩れ落ちた建物のなかで生きていた人間もいたかもしれない。
貧しさのなかでもなんとか生きていかなければならない。
その先の明るい未来を信じて。

羅生門や、人間そのものなど実際に目に見え、存在しているものしか信じられない。
人間はウソつきで、見栄をはりたがる。
信じられるのは自分のみ。
ラストでは雨が止み、これから先の光と希望が残される。
まだ人を信じられる。
そう思わないと、また雨が降りしきりそうだ。
そんな社会を願って作られた作品のようにも思える。