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羅生門のmoeのネタバレレビュー・内容・結末

羅生門(1950年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

生きるために嘘をついたり、盗みをしたり、殺したり。そしてそれは「自分が弱い」からしてしまう。
終盤の杣売りがおそらく事実であろうシーンを語る場面では多襄丸も女の夫もそれまでの供述とは違い恐怖に腰が引けてとても弱々しかった。
しかし杣売りは女の短刀を盗んでおり、この話も事実なのかは分からない。

個人的にめちゃめちゃ面白かったのは最後のシーン。捨て子の着物を盗んだ人と杣売りのやり取りでもエゴイズムが強く表れている。盗人は羅生門を出て行き、杣売りは捨て子を受け取って盗人とは反対方向に出て行く、盗人の方向は「悪」で杣売りの方向は「善」なのか。しかし、杣売りが捨て子から何も盗まずに育てるという確信はない。旅法師が杣売りを見送るシーンでは杣売りにピントが合って旅法師はぼやけている。旅法師は杣売りに対し「疑い」の念が生まれているのでないかと感じた。もし、杣売りが捨て子から何かを盗んだり、また捨てたりしたら杣売りの方向も「悪」になる。羅生門のどちらの方向も「悪」となると下人の「いったい正しい人間なんているのかい、皆そう思ってるだけじゃねぇのか」という台詞に繋がる。

「善良な人間を見極めなさい。」そう言われているような作品だった。

あと、京マチ子の憑依されたような演技力と妖麗な雰囲気が凄まじかった。
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