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羅生門のYRFWのレビュー・感想・評価

羅生門(1950年製作の映画)
4.8
『椿三十郎』に続いて二作目の黒澤作品。

「真実は藪の中」

舞台は、飢餓に苦しむ悲壮な平安時代。
雨宿りをしている木こりと坊さんが、恐ろしい話を目の当たりにしたといって下人に対して語るところから始まる。
登場人物は、多襄丸と美しい夫妻である。だが夫が死骸となり藪の中で見つかる。さらに妻の持っていた高価な短剣が消失する。
木こりと坊さんはこの物語の傍観者だ。

明確な事実は存在するはずであるが、当事者三人と傍観者一名により語られる殺人のシナリオは全く異なる。
当事者はそれぞれ自分が殺してしまったという結末のシナリオを提示する。だがその過程や感情の起伏は、傍観者含めた四者、各々が真実を隠そうと、恣意的に自己を肯定する部分のみを語っている。
木こりと坊さんはこれにより真実を見失い、人間本質すらわからねぇ、とぼやき続ける。

だが実は木こりは、真実を知っていたのだ。意見が分かれるだろうが、私は木こりの話こそが真相だと解釈した。

藪の中の話を羅生門の下でしているわけだが、羅生門での展開においては、天使と悪魔のような構図だ。
下人は人間の悪を説き続ける悪魔だ。坊さんは人間を善であると願い続ける天使だ。
だが坊さんは眼前にある嘘を吐きまくる人間に、絶望を抱いてしまっている。その為に、下人つまり悪魔に軍配が上がりそうな展開が終盤までは続く。降り注ぐ雨はそのメタだ。

ここで木こりの存在が重要となる。
木こりは、咎められるべき盗みという行為をしたことを下人に暴かれ、人間は悪の存在でしかなく、この世は地獄と証明され、万事休すかと思われたが、最終盤に出てくる赤ん坊によりそれは覆る。
赤ん坊に手を伸ばす木こりを見て、お坊さんは、「赤子まで取るというのか!」と叱咤する。だが木こりは六人子供がいて、七人でも変わらないので自分が引き取るという意思表示をする。
ここに坊さんは救われる。久しく見ていなかった、善の存在を確かに感じることができたのだ。ここで雨が上がる。遂に悪魔を撃退できたのだ。
主人公が、多襄丸から木こりに更には坊さんと変化し、完結するのだ。

間一髪のところで、善が勝利するが、これはごくごく身近なところで頻発している。
藪の中での殺人の話にあるように、人間はエゴイスティックな悪によりこの世界を生き抜こうとする。少なからず皆そうだ。だがそんな時にも、小さな善を見つけ、悪魔に魂を売らずに懸命に生きることを教訓として日々を繰り返す。木こりはそれが最も表された普遍的な人間像ではないだろうか。
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