いの

羅生門のいののレビュー・感想・評価

羅生門(1950年製作の映画)
4.5


藪の中は闇の中。


初観賞。雨のなかの羅生門(羅城門)、これがもう完璧。圧倒的な存在感を前にして、言葉を失う。それからあとは、語り手のなすがまま。検非違使に問われたる物語、語り手のなすがままに、私はぐらんぐらんと揺さぶられ、運ばれていくだけ。検非違使(※登場しない)を前にして語る語り手の後ろには、2人(志村喬&千秋実)がまるで借景の一部と化して座っているのも素晴らしいと思います。妖艶な京マチ子、その魅力に引き込まれ、どこか違う世界へと連れ去られてしまいそうです。顔のドアップの多用。降り止まぬ雨と羅生門。どこをどう切り取っても完璧としか言いようがない。


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女が「待って!」と言う時に止む蝉の声。それで私は、この蝉の声も、意図的に入れられているのだと思い知る。羅生門から(切り取られた)正方形越しに景色が見える、その美しさ。確信的な構図とかキャメラの位置とか、全く詳しくないからようわからへんけど、でも、スタッフのドヤが気持ち良いほど清々しい。

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この頃、毎日少しずつ、『芥川龍之介短篇集』を読み進めているところ。「羅生門」は久しぶり、「藪の中」は初めて。その『芥川龍之介短篇集』のなかで、編者のジェイ・ルービンは、「藪の中」を “(物語の語り手は、)ひとつの出来事をめぐる目撃者たちのいくつかの証言をなぜかまとめあげることのできる、実体のない編集者”と評している。この映画に於いては、語り手は、各々の演者というよりも、キャメラにあるような気がしている。 
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