羅生門の作品情報・感想・評価

「羅生門」に投稿された感想・評価

京マチ子と言えば「雨月〜」や「浮草」「赤線地帯」の方が好きなのだが、改めて見直してみるとこの作品の彼女は若くて美しく、妖しくて恐ろしい。
今の時代の流行の顔ではないが確実に巨匠たちが使いたがった技術と個性を持った稀有な女優さんだったんだと思う。
最近何本かスクリーンで見ていたので亡くなったというニュースが入ってきて大変残念。
謹んでご冥福をお祈りします。
芥川龍之介の『羅生門』の世界に、おなじく芥川の『藪の中』のエピソードをはめ込んだ傑作。

内的多元焦点化されたそのテクストの面白さ(それは芥川の手腕でもある)もさることながら、重なりあういくつもの世界のいずれもを、リアリティある迫真の映像にした見事さ。

いまにも崩れ落ちそうな羅生門の姿は、人間の倫理観の荒廃の象徴であるとともに、いまわたしたちが目に見て信じているものへの、信頼性の崩壊をも示唆している。
くらら

くららの感想・評価

3.4
50年の映画。カメラワーク、モノクロ映像の美しさはさすが黒澤明。
でも自分にはちょっと渋すぎた。
YRFW

YRFWの感想・評価

4.8
『椿三十郎』に続いて二作目の黒澤作品。

「真実は藪の中」

舞台は、飢餓に苦しむ悲壮な平安時代。
雨宿りをしている木こりと坊さんが、恐ろしい話を目の当たりにしたといって下人に対して語るところから始まる。
登場人物は、多襄丸と美しい夫妻である。だが夫が死骸となり藪の中で見つかる。さらに妻の持っていた高価な短剣が消失する。
木こりと坊さんはこの物語の傍観者でる。

明確な事実は存在するはずであるが、当事者三人と傍観者一名により語られる殺人のシナリオは全く異なる。
当事者はそれぞれ自分が殺してしまったという結末のシナリオを提示する。だがその過程や感情の起伏は、傍観者含めた四者、各々が真実を隠そうと、恣意的に自己を肯定する部分のみを語っている。
木こりと坊さんはこれにより真実を見失い、人間本質すらわからねぇ、とぼやき続ける。

だが実は木こりは、真実を知っていたのだ。意見が分かれるだろうが、私は木こりの話こそが真相だと解釈した。

藪の中の話を羅生門の下でしているわけだが、羅生門での展開においては、天使と悪魔のような構図だ。
下人は人間の悪を説き続ける悪魔だ。坊さんは人間を善であると願い続ける天使だ。
だが坊さんは眼前にある嘘を吐きまくる人間に、絶望を抱いてしまっている。その為に、下人つまり悪魔に軍配が上がりそうな展開が終盤までは続く。降り注ぐ雨はそのメタだ。

ここで木こりの存在が重要となる。
木こりは、咎められるべき盗みという行為をしたことを下人に暴かれ、人間は悪の存在でしかなく、この世は地獄と証明され、万事休すかと思われたが、最終盤に出てくる赤ん坊によりそれは覆る。
赤ん坊に手を伸ばす木こりを見て、お坊さんは、「赤子まで取るというのか!」と叱咤する。だが木こりは六人子供がいて、七人でも変わらないので自分が引き取るという意思表示をする。
ここに坊さんは救われる。久しく見ていなかった、善の存在を確かに感じることができたのだ。ここで雨が上がる。遂に悪魔を撃退できたのだ。
主人公が、多襄丸から木こりに更には坊さんと変化し、完結するのだ。

間一髪のところで、善が勝利するが、これはごくごく身近なところで頻発している。
藪の中での殺人の話にあるように、人間はエゴイスティックな悪によりこの世界を生き抜こうとする。少なからず皆そうだ。だがそんな時にも、小さな善を見つけ、悪魔に魂を売らずに懸命に生きることを教訓として日々を繰り返す。木こりはそれが最も表された普遍的な人間像ではないだろうか。
みーる

みーるの感想・評価

3.0
一つの事件への食い違う証言から人間のエゴイズムを描いた作品。
今もこの手の作品多いけど、ここまでシンプルなのは時代を感じる。
かと言って飽きることなく、モノクロなのに色を感じられるような感覚になった。
やっぱり上手いんだろうな〜。
creamymami

creamymamiの感想・評価

3.0
雨の日に観たい映画といえばこれ
sghryt

sghrytの感想・評価

3.5
認識論。独我論の気配が漂う。
汗の光り方とか、荒い呼吸とか生々しくていい。
moe

moeの感想・評価

4.7

このレビューはネタバレを含みます

生きるために嘘をついたり、盗みをしたり、殺したり。そしてそれは「自分が弱い」からしてしまう。
終盤の杣売りがおそらく事実であろうシーンを語る場面では多襄丸も女の夫もそれまでの供述とは違い恐怖に腰が引けてとても弱々しかった。
しかし杣売りは女の短刀を盗んでおり、この話も事実なのかは分からない。

個人的にめちゃめちゃ面白かったのは最後のシーン。捨て子の着物を盗んだ人と杣売りのやり取りでもエゴイズムが強く表れている。盗人は羅生門を出て行き、杣売りは捨て子を受け取って盗人とは反対方向に出て行く、盗人の方向は「悪」で杣売りの方向は「善」なのか。しかし、杣売りが捨て子から何も盗まずに育てるという確信はない。旅法師が杣売りを見送るシーンでは杣売りにピントが合って旅法師はぼやけている。旅法師は杣売りに対し「疑い」の念が生まれているのでないかと感じた。もし、杣売りが捨て子から何かを盗んだり、また捨てたりしたら杣売りの方向も「悪」になる。羅生門のどちらの方向も「悪」となると下人の「いったい正しい人間なんているのかい、皆そう思ってるだけじゃねぇのか」という台詞に繋がる。

「善良な人間を見極めなさい。」そう言われているような作品だった。

あと、京マチ子の憑依されたような演技力と妖麗な雰囲気が凄まじかった。
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