ケンヤム

ろくでなしのケンヤムのレビュー・感想・評価

ろくでなし(2017年製作の映画)
4.6

私は、まっすぐな、ろくでなしの男が出てくる映画が大好きだ。
それは、自分が、ろくでなしになりきれないから一種の憧れを「ろくでなし供に抱いているからなのか、それとも、自分がろくでなしだからなのか、どっちなのかはわからない。
おそらく後者なのだろうと思う。
とにかく、ろくでなしの出てくる映画が好きなのだ。


この映画は、題名の通り「ろくでなし」の生き様が描かれている。
ろくでなしというと、女にだらしないというイメージだけれど、この映画が特殊なのは、ろくでなしの男が一途な愛を貫こうとして、必死にもがいている様が描かれているというところだろう。


一途な愛を貫くという行為は、人間として、まともなことであると思われがちだが、実はそれは最大限の狂気である。
愛を貫くということは、決して生易しい、幸せに直結するようなものではなく、時に暴力にも転化しうる、それはそのままお互いの不幸を招く。
そして愛にとって一番の狂気は、このまま突き進んだら絶対的に不幸になるとわかっていても、止まれないということだ。
まさにこの映画では、愛に歯止めが効かなくなり、愛は暴力を呼び寄せ、そして死を呼び寄せた。
そこには、破滅しかない。


それでも、アパートの一室の白い壁に取り付けられた木の棚は残る。
隣に彼がいなくても、木の棚は残った。
「愛されていた」という事実は、現在がどんなに不幸な状況に追い込まれていようと、のこり続けるのだ。
それを、木の棚で見せる手法は、とても効果的であったと思う。


「悲しいが気持ちいいんだろ。変態だな。」という、この映画の序盤に出てくる社長のセリフを見終わった後すぐに思い出した。
見終わった後、確かに悲しいのに気持ち良かった。
それは、どんなに狂気じみた愛でも、何か惹きつけるものがあって、それによって世界を肯定したくなるからなのか。
それとも、悲しみを感じることによって「悲しんでいる自分」を強く感じ、自己認識を強化できたからなのか。


この映画を見て、愛について何かの結論に達するわけではないけれど、愛とは何か?という問いを保持し続ける大きな助けになるのは確かだ。


それぞれの不幸の中にある、それぞれの愛。
それぞれ不幸を抱えているからこそ、それを共有し、幸せな人たちには到底築くことのできない固い絆。
幸せな人も、不幸な人もこの映画を観るべきだと思う。


美しいシーンがたくさんあるので、ぜひスクリーンで!!
ケンヤム

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