社会のダストダス

サスペリアの社会のダストダスのレビュー・感想・評価

サスペリア(2018年製作の映画)
5.0
オリジナルであるダリオ・アルジェント版「サスペリア(1977年)」を観て、ほぼ間を置かず続けて鑑賞したけど想像の遥か地平を行く、度し難い変態映画だったため一旦レビューを書くことは考えず、渦巻く様々な感想は寝かせることに。

あの「ミッドサマー」を観たときも、監督した人は一度焼かれたらいいのにと思ったものだけど、この映画の製作に関わった人たちは、取りあえず全員剣山の上で1時間正座させたい。どうしてああなった、「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノが監督をして、製作総指揮に8人もの人類が名を連ねておきながら、世に放たれてしまった怪作。

—その踊りは、死を招く

—決して一人では見ないでください?
(むしろ一人で見た方がいいと思います、リビングとかで家族の視線を気にしながら見るものではありません)

オリジナル版を観たときの感想は「当時としては斬新だったのかな」くらいで、今も名作と言われる理由くらいは理解できたつもりでいたけど、このリメイク版はおそらく1000年後の思想家や哲学者も首を傾げることだろう。
思った通りというか評価は真っ二つ、フィルマのレビューを見る限りでも。
原作のダリオ・アルジェント監督はブチ切れてるらしいし、まあ無理もないと思う。
タランティーノ監督は本作を観て「素晴らしい…(涙)」、まあこの人は好きそう。

“6幕と1エピローグの物語 分断されたベルリンで”
米ソ冷戦真っ只中のベルリン。アメリカからやってきたスージー(ダコタ・ジョンソン)は、モダンダンスの舞踏団へ入団する。入団試験で才能をマダム・ブラン(ティルダ・スウィントン)に認められる。
精神科医のクレンペラー(ルッツ・エバースドルフ)は、舞踏団の団員である患者のパトリシア(クロエちゃん)から奇妙な儀式が行われていることを聞くがその後、彼女と連絡が取れなくなる。不審に思った彼は独自に舞踏団を調べ始める。

オリジナル版が100分ほどだったので、150分になったことで分かりづらかった部分が掘り下げられて明瞭になるのかな、などと甘えたことを考えていた。確かに東西冷戦中の不安定な情勢が背景に語られ、そんな素振りを一瞬感じさせたが、しかし。
「あれ、知っている展開と違うぞ…」が重なり
「え、待って今のナニ??」が特に説明されず
「\(^o^)/」どれも分からん
完全にお手上げでした。まさかの迷宮入り。

冒頭のファーストカットから、まさかのクロエちゃん!おお!ボロ雑巾みたいな格好でもやっぱりkawaii!!クロエちゃんが演じているのはオリジナル版で悲惨な殺され方をしてしまったパトリシア、あの執拗に何度もぶっ刺されてしまった人。
やっぱりクロエちゃんも同じ運命を辿ってしまうのか…
頑張れクロエちゃん!運命に抗えクロエちゃん!!
…あれ?死なない。クロエちゃんのCu度が悪魔の力に打ち克ったのだろうか、やはり可愛いは十字架に勝る正義ということなのか。
(しかしその後、クロエちゃんファンには涙を禁じえない事態に、一思いに死んでた方が幸せだったかも…)

オープニングからこんな調子で、その後も1秒として観たことのあるシーンが出てこない、一体どんな再解釈をしたのか。ダリオ・アルジェントのオリジナル版も正直言ってストーリーはよく分からなかった。
本作はコカ畑でキャンプファイヤーしながら考えたようなストーリーで、「はなから貴様ら凡人に理解してもらおうなどとは思わん!」と言われているような、謎の意識の高さを感じさせる。

主人公スージーが雨のなか学校に着く、ここ“だけ”は同じだけどパトリシアが玄関でブツブツ言ってるのを目撃するシーンが無いので、すでに冒頭からオリジナル版のラストには繋がらないのが示されている。スージーの友人になるサラ役にミア・ゴス、いろんな意味で可哀そうな役が似合う、「EMMA」を観て以来ミア・ゴスにハマりつつある。クロエちゃんパトリシア同様、ミア・ゴスのサラも悲惨度がアップデート。

オリジナル版では直接姿を見せなかったマザー・マルコスが変態的な造形と変態的な役者魂で登場。その姿を見れば作中の訳の分からなかった伏線が多少は繋がったけど、結局喋っていることが訳分からないので、やっぱり訳の分からない存在。
中の人を知ってビックリ、確かに凄いけど特徴の近い太った人を探そうとは思わなかったのか、「ハンニバル」のゲイリー・オールドマン並みに原型が無い。

クレンペラー先生を演じたお爺さんは見たことも聞いたことない人だなと思っていたら、ここにも変態的なこだわりがあった。これも中の人を知ってビックリ、全然疑わなかったしとりあえず凄い、でもこれも特徴に合ったその辺の老人を拾ってこようとは思わなかったのだろうか。
生き別れた奥さんを演じているのがアルジェント版のスージー役のジェシカ・ハーパーというのも粋な演出。

オリジナル版では圧の強い顔面のタナ―先生は今回あまり目立たない。ティルダ・スウィントンのマダム・ブランが立場的にはそれに相当するけどあまり高圧的な印象はない、どちらかと言えば人当たりが良いがそのかわり滅茶苦茶妖しい。マダム・ブランを筆頭に先生方は常に目で何かを会話している。途中の学校を訪ねてきた刑事のポークピッツを先生方がフックでイジイジするシーンの解説を誰かしてほしい。

私はホラー映画のジャンルでいうと、美女が変態に追いかけ回される映画と、美女が変態を遂げていく映画が大好きなので、それらを併せ持つ本作は至高の傑作だった。
なお、ストーリーは3回観てもまだ分からないところが多い、「TENET」が優しく思えてきた…
モダンダンス学校(原作はバレエだった)という舞台が活かされ、妖しい「民族(Folk)」の踊りが、本作独自の呪術的な要素を尖らせる。クライマックスのダンスシーンは圧巻。

ストーリーから思い切り違う世界線みたいに作り替えられているけど、BGMもゴブリンの有名なテーマをカバーも全く使わずトム・ヨークが全曲一新し、オリジナル版で特徴的だった鮮やかな色彩すらも排除。自分はオリジナル版を初めて観たのがまだ最近だから、見比べて大胆な変化を楽しむことができたけど、公開当時に観た人からすれば多分「これはサスペリアなのか?」と感じるのが普通だと思う。

1度目に観たときは壮絶なラストに、マジで意味わかんなすぎて半分キレそうだったけど、2回目では冒頭のクロエちゃんのうわ言が映画の概ね大半を要約しているのが解かった。各章のタイトルは「死霊館」でウォーレン夫妻が講義していた悪魔の3段階の活動、出没、攻撃、憑依を表しているとも取れる、思い出した時「ここ進研ゼミで出たやつだ!」ってなった。

本作を観て思ったことは、芸術と変態は紙一重、あるいは同義ということ。
あと儀式で散らかしたらちゃんとお掃除しなければいけない。
いやあ、最高に楽しい。でも誰にもお勧めできないのが辛い。