KnightsofOdessa

サスペリアのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

サスペリア(2018年製作の映画)
2.0
[退屈な悪夢、或いは"サスペリア"の怒り] 40点

分かる分からないじゃなくて単純に下手くそ過ぎてつまらない。グァダニーノが「サスペリア」をリメイクすると聞いたときには仰天した。一言で言えば表面的でスージー=観客目線だったアルジェント版をより詳しく掘り下げ、実はあのとき魔女はこう動いてた、実はあのときパトリシアはこう考えてたという裏設定を表に出した上で、グァダニーノが自分の解釈として物語を語り直し、オカルト神話を再構築するというもの(全然一言じゃない)。しかし根本が間違っている。アルジェント版「サスペリア」という映画は決してホラー映画ではなく、美少女をイジる映画だからだ。目的が違うのだよ。だから、グァダニーノ版について"最悪のリメイク"と言うのは間違っているとは思う。ちなみに、私は観たこと無いが原作の魔女三部作の残り「インフェルノ」「サスペリア・テルザ」もベースにしている。

最初に目次が付いてくる謎の親切設計。全七幕の地獄巡りを提示する。アルジェント版は前提になっているという感じで、魔女であることは既知の事実として扱われる。光の遊び視覚的な導入で邪悪を表現したアルジェント版の冒頭とは異なり、ドイツの秋と口頭でおどろおどろしさを導入するグァダニーノ版には不安しか抱けない。その後も「君の名前で僕を呼んで」のコンビとは思えないほど暗い画面が続く。音の使い方は原作より迫力があるが、技術の発展を考えると別にそこまで特別じゃない。

物語的にもドイツ赤軍の描写が本筋とマッチしているとも思えず、最初で時代を字幕で明記しているのに延々と出し続けるのは完全に浮いている。アルジェント版が時代や国を超越した作品だっただけに1977年のベルリンに拘ってその時代を切り取ろうとしたのが意味不明だ。

上昇志向の塊のようなスージーに代わってサラが終盤まで探偵役を担当し、三人の魔女
マザー・テネブラルム(暗闇の母)
マザー・ラクリマルム(涙の母)
マザー・サスピリオルム(嘆きの母)
のことを発見する。これはアルジェントの魔女三部作に登場する魔女であり、アルジェント版「サスペリア」に登場する魔女はマザー・サスピリオルムに相当する。

ダラダラと続く地獄巡りの終点は魔法陣によるマザー・マルコスの転生であり、器となったスージーを中心に描かれた人柱たちの儀式=踊りを完成させるために秘密を知ったサラすら操って披露するが、スージーが踊りを変えたことですべてが崩壊し、ソーテンダイクがクレンペラーに掛けていた魔法も、ブランがサラに掛けていた魔法も外れて儀式は失敗する。そこから怒涛の急展開。二度目の転生の儀式でスージーこそがマザー・サスピリオルムだと判明し、そこからマルコス派の幹部を殺しまくるのだ。しかし、ここでは赤い光ではなくエフェクトだけの"赤"になっており、まったく狂気を感じない。ただジョンソンが歩いて、幹部の頭が爆発するだけなのだ。流石に閉口。最早撮ることより加工することに徹しているこの描写は本当にひどい。

ちなみに、構造が「博士の異常な愛情」に似ている。一人三役が権力者(大統領=マルコス)、追随者(ストレンジラブ博士=ブラン)、解決者(マンドレイク大佐=クレンペラー博士)という一人三役をこれほど華麗にパクった映画を他に知らない。解決者クレンペラーこそアルジェント版のスージーに相当する"何もしない安楽椅子探偵"であり、ある意味原作は継承している。

長く引っ張った映画の行先があのラストならもうどうしようもないよね。分かる分からないじゃなくて単純に下手くそ過ぎてつまらない(二回目)。出直してこい、タコ。
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