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サスペリアの海のレビュー・感想・評価

サスペリア(2018年製作の映画)
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自分が女であるというただそれだけのことのためにひどく苦しむ時期があり、そしてそれを乗り越えないと、大人にはなれない。誰もがそうかは分からないけれど、少なくともわたしはそうだった。自分を待っている未来やら希望やらにニコニコと笑っているだけの少女なんか今もきっとどこにも居ないし、大抵は抑圧と闘う方法やそのために生じる考えられないほどの不安に苦しみながら生きている。女だからできる/できないとか、女だからこうすべき/してはならないと、はっきり言葉にされることよりも、幼い頃から叩き込んでやろうとどこにでも存在する特殊な罪、悪の概念が、わたしは怖い。蝶の羽根を千切ってしまって泣いてしまうような恐怖ではない。ただ恐れる罰が、その手前で存在する特定の意識を罪とかえてしまう。以前、映画を通して知り合った男性に、ある映画が気になっていると話したとき、「あれは男の映画だから、女の子が観ても分からないかもね」と言われたことがあった。大人になって、映画を愛して、自分でここまで歩いてきたのに、ここまで来てもまだそれは付きまとうのか、と絶望したあの時の気持ちを、フロアの上で絶え間なく呼吸を繰り返す彼女たちを観ながら思い出していた。少女の踊りが人を殺す、あの描写は確かに狂気的だったのかもしれないが、わたしには狂気に映らず、むしろ起こらなければならないことだったかのように思えた。『エコール』や『ミネハハ』を知っている方にはあの少女たちの踊りを思い浮かべてほしい。特に後者、あれは全編を通して本当に分かりやすく、少女たちの生の動きそのものが、男の性の呼び水となっている。女のダンスはセックスと同義とされることが多い。だからこそ本作で、生まれ持った肉体を使って美を表現する女たちのダンスが生でなく死と結ばれているのなら、それほどに説得力のある「反抗」はどこにもなかったのだと思った。突飛な解釈かもしれないけれど、わたしの中であの踊る死のシーンは、観客を圧倒する狂気じゃなく、こちらから向こうへと訴えかける声明だった。誰かの貧しさを踏み台にして誰かが富むのなら、消費されてきたわたしたちの上に誰かがのしかかっているのも当然のことなのだ。 呼吸する背骨に注がれる視線の透明な真紅がたまらない。わたしが欲しいのはいつだってそれだけよ、裸で踊らされたとしても、それを観ているあなたが足元から首元までしっかりと視線で覆い尽くしていてくれるという安心感。癖になるほど甘く容赦ない厳しさ。あの中でなら何だってできると思う。それは歪んだ愛情への応え方なのかもしれないが、狂っている、と向こう岸から口出しされるのだけはもうたくさんだ。何様だ、と怒れば怒るほど膨らむこの正しい敬愛に釘付けになってしまえばいい。あなたが植えた罪の種がどんなふうに育ったか見せてあげる、罪も罰も含めて愛し抜く方法を教えてあげる、今夜、たった今から、わたしがあなたの永遠の悪夢。美しくて優しい悪夢。
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