感染防止の観点から、あるいは倫理的な側面から、マスクをせずに外に出る事が躊躇われる今こそ見頃だろう。
端的に言えば、映画を観て「気持ちよくなりたい」人には到底お勧めできない、とても「気持ちの悪い」映画だった。
監督もインタビューで述べている通り、この映画には作中で直接語られない「設定」があまりにも多い。
感染症はなぜ蔓延したのか。
そもそもこれはどんな病気なのか。
彼らの住む森の外の世界は一体どうなってしまったのか。
こういったいくつかの質問に対する全ての答えを持っているという監督はしかし、観客が知恵を絞ってそれらの答えを「考察」しようとするのを積極的には面白がらない。
実際のところ、今作の謎を推理する事は、作品中に散りばめられたいくつかのヒントなどから、ある程度は可能な様だ。公式サイトにもほぼ「回答」が掲載されている。
それはそれで確かに興味深いし、色々と腑に落ちてすっきりする部分もある。
ただ全然気持ちよくならない。
むしろストーリー上のモヤモヤが解消される事でより一層今作の映画的な気持ち悪さが際立つ。
ダーティープロジェクターズの元メンバーでもあった、ブライアン・マコーマーによる不穏なスコア、ラ・トゥールの絵画の様な(しかし暖かみとは無縁の)自然光を用いた明暗のコントラスト、アスペクト比の操作による夢と現実のパラノイア的演出などは、映画的技法など何一つ学んだ事のない私の様な人間の心にも、無意識のうちにじっとりとした嫌な汗をかかせる。
奇しくも鑑賞のつい先日亡くなった歌手ビル・ウィザース。主人公らの住む家の廊下にはさりげなく彼の写真が飾られているが、彼の代表曲のひとつである「Ain't No Sunshine」の歌詞にトラヴィスの心情を重ねゾッとするのは、それこそパラノイア的すぎるだろうか。
確かに存在するものの、中々表出してこない怖さ。表れた時には最早取り返しのつかない恐怖。
様々な国や地域で外出自粛要請が続く中、まるで夢遊病患者のように街の映画館へ出かける私の様な人間達に、「ソーシャルディスタンス」だけではなく「フィアーディスタンス」、恐れとの距離の測り方について改めて再考せよと促している様な、本当の意味で恐ろしい映画だった。世界は今、すでに夜を迎えている。
それにしてもこんな野心的な作品を作らせてくれるA24はやはり若い作家達にとって非常に魅力的なんやろうな。ある意味クリエイターに対する映画でもあるよな。「うちならこんな事できまっせ」的な。違う意味でも恐ろしい。