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北の桜守のmoimoiのネタバレレビュー・内容・結末

北の桜守(2018年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

普段観ないタイプの映画だったためか、入り込みにくかった。

冒頭、吉永小百合と阿部寛が夫婦という設定に、さすがに名優同士とはいえ、映像作品では無理があると感じた。
序盤にケラ演出の舞台パートが入ることで、この物語が誰かの回想か想像であることが知らされ、ラストシーンでその思考の主体が修二郎と真理なのだと分かる。
父は修二郎が記憶している最期の姿、母は現在の姿で回想と想像の「舞台」に出演しているため、不自然な外見的年齢差があるのだろう。

作り手と観客がそういった申し合わせを交わした上で物語が進むことに異論はない。
納得はする。
それよりも気になったは人物描写。
特に、真理の父がコンビニのスタッフの働きぶりで考えをあらためる流れや、真理が実父に諭されて夫婦関係を見直し修二郎に愛を乞うまでの流れの不自然さといったら。
修二郎の部下たちも、あの労働環境でポジティブに働き続けていくことは難しいはずなのに、反発するでも大きなミスをするでもなく存在し続ける。

菅原がてつに仕事を手伝えと言うシーンも、彼女の体を求めることをなぜやめたのかが見えず唐突さを感じた。
顛末が描かれていないだけで、2人は契約的な肉体関係を結んだのかもかもしれないが、それならば後の「白の喪服」はどう説明するのか…。

てつと修二郎以外の人間たちは物語を動かすために都合よくはたらくコマのようにしか見えなかった。
吉永小百合をはじめとした役者たちの演技が素晴らしいだけに、それが際立つ。
全体のテンポの悪さやCG合成の雑さも気になった。
母子の愛や反戦といったテーマは崇高で、このようなメッセージ性のある作品は社会的にも意義があるのかもしれないが、映画としては全てにおいて食い足りなかった。
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