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三里塚 辺田部落のshishiraizouのレビュー・感想・評価

三里塚 辺田部落(1973年製作の映画)
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三里塚シリーズ第6作。小川プロ映画の臨界点。闘争から日常へ、敗走から土地の記憶の古層へ。

前作『三里塚 岩山に鉄塔ができた』の冒頭で描かれた、1971年9月16日、第二次強制代執行拒否の戦い。その際に起きた3人の警官の死を口実に、部落の青年たちは次々に連行される。一度は釈放されるものの、再度連行&獄中起訴、彼らは3ヶ月も家に戻れなくなってしまう。

若者、運動の担い手、〈現在〉の不在。それがこの映画に流れるベースの時間。
そこで何がフィルムにおさめられるのか。トノジタのじいさんの話。1月15日、子安神を祀り女だけで祝う「おんなおびしゃ」の日、大根と里芋などで男根のお供え物をつくりながらヘエベエさんがする話。ハンゼムの年寄ばあさん(86)の波乱万丈な話、おめかしして脇には大事な松の盆栽が置かれている。
字幕が画面をにぎやかすなか、年寄りが尽きない話を語り、小川紳介の饒舌な合いの手と補足が、人の生きた声、土から生まれ、女性から産まれた声と声の交響となる。人間に刻まれた、生き生きとした老いの時間が、画面に今として定着する。土地の、土の、森の、稲の、時の古層からの霊からのもののようにして響く、音声と画面が一致する。
(これまでの三里塚シリーズの「闘争」の記録が、常に(誠実ゆえに)どこか取り逃がしてきた〈現在〉の表象は、音声と画面と闘争が一致していないという知的さがあった)
今が過去から刻み続けられてきた今なのだという豊かさに、ついに映画が到達したという感触。

トノジタのじいさんの語る、明治の大火の話や、龍崎七軒党の戸口の話、村八分の話は、今ある木々や田圃や家々の風景のむこうに時の折り重なった層を幻視させる。

終局。若者たちが獄から帰還し、ささやかな宴がひらかれる。古層の時間に若い〈現在〉の空気が走る。それそのものが希望。

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…小川プロが『三里塚 辺田部落』のフィルムを持って東北にやって来た。その上山市での上映運動のさい、約2ヶ月間、チケット売りや準備を木村迪夫(農業/廃棄物収集)・シゲ子夫婦は積極的に手伝った。『辺田部落』のあと、小川プロはどんな作品を作ってゆくのか。『クリーンセンター訪問記』撮影中、迪夫はゴミ収集車の助手席に乗る小川に「小川さん、牧野村に来ないかなあ」と言ってみた。
迪夫〈小川さんもその時点では、上映運動にもひと区切りついていたし、自分の今後の方向についてあれこれ模索しておったんじゃないか()その小川さんの想いと、私自身の勝手な()呼び掛けとがドッキングしたんじゃないか〉、〈私の家の地続きに萱ぶきの家が一件空いてた()で、小川さんたちが移ってくるんなら、この家に住めばいいと〉
1974年、小川プロは牧野に、木村家の隣に移ってくる。子供なども含めて〈十六人くらいおった〉。
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