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きみの鳥はうたえるのmistyのネタバレレビュー・内容・結末

きみの鳥はうたえる(2018年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

函館の、眩しくもやわらかい光に包まれた映画だった。きっとこんなビル風とコンクリートがもたらす心無い、容赦ない暑さではなく、吹き抜けていく優しい風があって、目を細める一瞬の清々しさがある街なのだろうなと思った。広々とした道路、真ん中を通る路面電車の駅、薄明るい朝。

夜の長さは魔法の時間だったこと、朝まで飲んだりカラオケ行ったり、そうやって若い友達と過ごして店を出た朝の薄明かりは夢から覚めるようでもあって、その朝こそが夢の果て、夢の完成のようにも思えたこと、を、学生時代のわたしもまた経験し覚えていた。この映画を観て、たしかにそんな時間はあったことを思い出した。
夜から朝にかけての時間には魔法がかかっていたのだった。昼間よりずっと楽しくて心地よくて、なんでもできる、一緒にいる人たちのことは昼間より倍以上好き。

確かにフィクションなのだけど、覚えがあって、懐かしくて、こんな光景が映画という作品として成立することがふしぎでもあり、映画館でこんな作品が観れることにただ胸がいっぱい。
「物語」がなくても人は生きるし、眼差しと言葉を悩む沈黙があれば、人は語れる。
超がんばってるわけじゃなくても、これ以上なく生きている3人だった。

クラブのシーンはいつまでも観ていたい。短く映される石橋さんのダンスがとっても良くて、あそこだけをずっと観てたい。
カラオケのシーン、石橋さんの歌い出しがめちゃくちゃ上手くてびっくりした。この人なんでもできるんだとびっくりした。
なんというか石橋さんがとてもよかった。『夜空はいつでも最高密度の青色だ』よりも自由で、肩の力が抜けていて、すごく自然にそこにいて、それがとても良いなあと思った。

「僕」に名前がなかったこと、一度も彼の名前が呼ばれなかったことに、エンドロールで初めて気づいた。
佐知子が悩んで、選んで、悩んで、発する最後の言葉はもしかしたら彼の名前だったのかもしれない。彼は呼ばれることなく映画は終わってしまったけれど、だから彼はこの映画の中においては「僕」のままでいられて、「僕」でしかなくて、だけど個人的には、空気になるにはあまりに存在感がありすぎるよ、とも思っていたのだった。
(でも名前が付いてしまうのはあまりに惜しい)

よかった。すごくよかった。じんわり、何年経っても思い出してはじんわり、そしてさみしくする映画だと思う。この映画からわたしの時間が遠ざかっていくことが今からもうすごくさみしい。
ぜひ函館に行ってみたい。夜通し飲んで遊べる元気はないけど、あの魔法みたいな朝の光景、自分の目でも見てみたい。
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