140字プロレス鶴見辰吾ジラ

マザー!の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

マザー!(2017年製作の映画)
4.5
”凄いよ…”

ファーストカットを見たときのある不安。
タイトルから滲み出る聖書遊び。
主人公に張り付くカメラワーク。
夫は異常者なのか?
妻が狂っているのか?

不条理コメディなのか?
笑ってよい奴なのか?
そして裏切られ惨劇…

誰がどの役割で、誰が何を示す?

クライマックスの怒涛の世界観。
家から一歩たりとも出ていないのに
途方もなく遠くへ連れて行かれてしまった…

詩人の夫を支える妻の献身。
田舎にポツンと建てられた家。
シチュエーションは実にシンプル。
のはずなのだが…

冒頭から主人公に密着するカメラワークは「サウルの息子」を想起させ、ダーレン・アロノフスキーのブランドイメージがサイコスリラーを期待させ、そしてそのフィルモグラフィが聖書オマージュを予見させる。

ストーリーは前半と後半に二分させていて、前半部は不穏な訪問者の連鎖で描かれるブラックコメディのようなテイストのスリラー。それこそお笑い芸人の番組にて、特にとんねるずの石橋貴明が後輩芸人の自宅に乗り込んで、理不尽に部屋を物色したり、貴重品を破壊するが如く、妻の日常と愛の巣を乱して、壊して、蹂躙していく様が描かれている。失礼極まりない客人を温かく迎える夫と対照的に、キッチンを汚し、洗濯機を乗っ取り、炎上必須な発言を投げかけ、大事な品を破壊する。なんなら喧嘩までおっぱじめるぞという勢いの良さに、ダチョウ倶楽部の上島隆平の「押すな、押すな」の振りの如く、悉く事象を引き起こす様は不快で痛快、そしてゲラゲラと笑った後にしっかりと笑ったことを後悔するような惨劇が起きる、観客への嫌がらせもアンチサービス精神の徹底のように見せきってくれる。散々エスカレートしていった挙句に家に上がりこんでくる人々が豪快に家具を壊すシーンは申し訳ないが面白い。流し台のシーンの思い切りのよい破壊っぷりはドリフのコント顔負けである。

当然、妻はキレる!

しかしまだ後半を残している中で、さらなる受難が待ち受けているというのだから、後半への起点となるある主人公の変化に不穏な空気、不安な予想とドッキリバラエティを画面越しに見るワクワク感が同居しているので、反倫理的、反道徳的な「見たくないものを見る」好奇心を駆り立てながら、次のインフレを待つわけだが、クライマックスへのなだれ込みはまさにカオスそのもの。訪問者がせきを切ったように入り込んでいき、暴徒化し暴動となり、入り乱れ、乱舞し、狂気し、逃げ場がなくなり、助けが望めなくなり、最後に残った希望まで無残に飲み込まれ(この希望たる存在の末路は度を越しているし、完全に狂気の沙汰)、言い得て妙ななる”世界の終わり”を先に挙げた主人公に密着するカメラワークからゲームプレイヤー視点の如く怒涛に味あわせる心底不快で、メタ要素遊びで、暴虐的なクライマックスは最低で最高で残虐で爽快で最低評価で最高傑作。

そしてぐちゃぐちゃに蹂躙されていくモノが何かを理解して、この世界の不条理や理不尽や理想と現実と惨劇と犠牲が、ある1つの答えへ導かれる。冒頭カットで感じた不安の意味と、我々が蹂躙した母なる大地と惨劇に駆けつけることにない存在をヘイトすることとなる壮大なブラックコメディであり批判視点であり、遊びであり洒落化である。

凄いよ…

表ベストよりも裏ベスト映画としての
役割と世間評価を獲得した
類稀なる存在感のある映画の旅路
是非、ご賞味あれ!