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バーバラと心の巨人のohassyのレビュー・感想・評価

バーバラと心の巨人(2017年製作の映画)
3.0
ファイティングポーズをとる


確かにこの邦題はちょっとあれかもしれない。
個人的には「ジャイアントキラー」とか「少女と巨人」とかの方がいい気がするけれど、完全に平日の主婦やF1層をターゲットにしているだろうから、ジャイアントキラーだと取りこぼすだろうな。
広く日本人に観てもらうには、特に今はタイトルだけで内容を説明をしなくてはならない場合もある。
キービジュアルもそういう意味では正しいし、良いデザインだと思う。
あとほんの少しだけ、制作意図や原題に対してのリスペクトが感じられたらもっと良かったという感じなのかな。

いやでも難しいと思うよ邦題。
その昔、20世紀の終わり頃、とある映画宣伝会社の就職試験で、公開前の映画のプロットを読んで邦題を考えろっていうお題出た。
自分がどんな案を出したのか全く覚えていないけれど、その映画は「微笑みをもう一度」というタイトルで上映されていて、ふーん、くらいの気持ちだったことを今思い出した。
少なくとも僕の案じゃない。
最終面接で落ちたし💢

まあそんなことよりも。
主人公のバーバラは、完全で理不尽な破壊者たる巨人に対して、自分ができることすべてを注ぎ込む。
それこそ恥も外聞もまったく関係なしに、すべてをを投げ打って。
自分がどう思われようが、結果的に誰かを傷つけようが関係ない。
そんなことは小事なんだ、巨人にすべてを破壊されることに比べたら。
大事のために小事を犠牲にするのはヒーロー然としていないどころか、悪役、例えばサノスみたいな考え方。
その姿は戸惑いやある種の気味悪さを感じさせるけれど、一方で気高くもあるように思えてくる。

バーバラは苦難を乗り越えるために巨人と戦うことを選び、戦い続けることで自らを守っていたのだろう。
それほどまでに強力な苦難に直面するときに、人は巨人やエイリアンやバケモノや悪夢と戦うことで、自らの存在や思考を正当化できる。
自分は決して弱くない、生きる意味があり、価値がある。
そういう豊かな想像力が、古今東西のさまざまな素晴らしい、示唆に富んだ物語やキャラクターを作り上げているわけだ。
ブルースウェインも自らの恐怖を克服するために、恐怖の根源たるコウモリに同化した。

原作者で脚本のジョーケリーはバーバラそのもので、彼もまた苦難を乗り越えるために巨人と戦ったのだろう。
豆の木を登ったジャックも、壁を守るエレンも巨人に立ち向かうわけで、巨人というのは何かそういうもののメタファーになりやすいのかな。
個人的にはそういった感受性もなければ悲観的なところもない人間なので、まったくと言っていいほど経験がないけれど、もし僕にやってくるとしたらどんなヤツだろう。
それは、どんな苦難を共にしてくれる相棒だろう。
タイラーダーデンみたいなのだったらイヤだなあ。

バーバラを演じたマディソンウルフはとても良いですね、可愛いのかそうじゃないのか劇中ではよく分からなくて好きです。
パンフレットにほとんど男が出てこないと書かれていて、確かにそうだったなと思うくらい気にならなかった。
女性たちの強さと優しさとしなやかさでできている世界は、なんだか居心地が良さそうだ。
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