これは素晴らしいドキュメンタリー作品。原発や地球温暖化に対しても発信を続ける音楽家・坂本龍一に2011年から5年間密着して、彼の音楽の現場はもちろん、世界各地に飛んで彼の探求する音と思考を追った貴重な記録。撮影途中の2014年7月に明らかになった、中咽頭ガンとの闘病までカメラは追っている。
冒頭は宮城県名取市にある壊れたピアノ。2011年の東日本大震災、津波で海水をかぶり、そのままになっていたピアノの音色を坂本龍一は興味深そうに聴く。冒頭からひじょうに印象深いシーンだ。テクノロジーによってつくられた音には持続性がない、彼はここを出発点として自分が求める自然の音を探し、北極圏やアフリカなど世界各地に旅に出るが、そのスタートがこの震災で壊れたピアノだというのはなかなか象徴的だ。
作品には、坂本龍一がこれまで辿ってきた音楽的履歴も登場する。坂本龍一自身が提供したという膨大なプラベート映像から選りすぐられた、YMO時代のものから映画音楽制作の舞台裏などのレアなものまで初めて観る貴重な映像が次から次へと登場する。とくに中国で急遽ベナルド・ベルトリッチ監督から「ラストエンペラー」の映画音楽を頼まれ、撮影現場でピアノを調達するシーンには不思議な可笑しみも感じた。
中咽頭ガンの闘病中に、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督から「レヴェナント 蘇えりし者」の映画音楽を頼まれ、病をおして復帰する姿は、音楽家としての執念さえ感じさせられる。ポスタービジュアルにも使われている頭からバケツをかぶっている姿は、ニューヨークの自宅でのもの。カメラはもちろんそこにまで入り込み、坂本龍一が降りしきる雨の音に感応する姿をしっかり収めている。印象に残るシーンのひとつだ。
作品の幹となっているのは、彼が新たに制作したオリジナルアルバムの現場。そもそもこのプロジェクトは、それを同時進行的にカメラに収めることで始まったらしいが、途中、ガンとの闘病もあり、もっとレンジを広げたかたちで作品ができあがっていったという。結果、世界に向かって発信し続ける坂本龍一の思考にまで迫った見事なドキュメンタリーとなっている。
監督は「ロスト・イン・トランスレーション」の共同プロテューサーも務めたスティーブン・ノムラ・シブル、彼はニューヨークで坂本龍一に会い、感銘を受けてこの作品のオファーをしたという。ドキュメンタリーにその制作過程が収められた坂本龍一のニューアルバム「async」を聴くと、作中で彼が共感した「音」がたくさん出てくる。こちらも素晴らしいアルバム。