スペイン内戦
フランコ政権の悪夢
歴史に刻まれているゲルニカ爆撃
ドイツ空軍のヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン中佐が
指揮するコンドル軍団による
ゲルニカ爆撃は都市空爆の実験であった
1937年4月26日
リヒトホーフェン中佐が
作戦参謀のコンドル軍団とイタリア軍24機の
爆撃機でスペインのゲルニカを爆撃
3日間かかる攻撃を3時間で
機銃掃射された街は殺戮の跡が生々しい
約200tの爆弾を投下し焼き払った
バスク地方最古の町であるゲルニカ
リヒトホーフェンの人柄が
もっと温厚な人だと思っていた
この後、ワルシャワやスターリングラードも空爆
スペインで取材をしていたジャーナリスト・ヘンリーは
この砲弾の中に身を晒していた
タイムズ紙に英国人フリージャーナリスト
ジョージ・スティアの記事によって報道されて
世界中から空爆に対し避難された
共産党支持者のピカソはゲルニカ爆撃の
報をパリで受け1ヶ月後に
無差別爆撃の惨事の絵を描いた
大手町オアゾの前にレプリカがありますね
これはパブロ・ピカソの怒りの感情の
発現に他ならない
浮かばれない魂
死んでしまった人々への鎮魂