南瓜とマヨネーズ観賞。
12月もまだまだ観るけれど、おそらく今作が僕の2017年ベスト邦画。どこを切っても邦画の美徳が溢れ出してくる。
恋愛でも人生でも、100%楽しい時間や100%悲しい時間はなくて、実際にはそれらは分かち難く混在しているもので、だからこそ簡単には離れられないし、忘れられない。このいわゆる腐れ縁というやつが、臼田あさ美演じるツチダを中心に描かれていく。
バイト先のライブハウスでシールドをさばくツチダが帰宅すると、ああこちらも相当絡まってるなと感じさせる佇まいで太賀演じるニート彼氏のせいいちが待ち構えている序盤から、ミニマムなセリフと演出で観る者の心をえぐってくる。場面の繋ぎや、やくしまるえつこが手がけるスコアも同様、観客に目を凝らし、耳をすます行為、すなわち映画への没入を促す示唆に富んだものだ。
登場人物の全てがおしなべてクズ成分を含んだ造形なのもまた、先述のわかちがたさを醸し出している。いけすかないが同時になんとも魅力的な面々だ。スクリーン上に描かれていない間にも、彼らがどんな時間を過ごしたかがなんとなく伝わってくるのがまた巧い。
そんなクズの中でも完璧なクズ、ハギオをこれ以上はないはまりっぷりで体現してみせるオダギリジョーはさすがだが、本作においてオダギリ以上の役者は、ツチダとせいいちが暮らすアパートの「部屋」かもしれない、と感じた。
住む者の親密さや倦怠、心の隙間を静かに、しかし雄弁に物語る彼らの部屋の表情の移り変わりには何度も感心させられた。
ほどよくくたびれてとても美しくなった臼田あさ美、「淵に立つ」ぶりに観てその成長に驚いた太賀、主演ふたりの演技がやはり素晴らしく、ラストの控え室のシーンではしっかりと涙をひとしずく搾り取られてしまった。そしてやくしまる作、太賀が歌う「ヒゲちゃん」の愛らしさとやるせなさに、もうひとしずく。この歌聞くために90分座っている価値あると思った。
本作のクオリティ的な成功に合点がいくようなきっぱりとしたエンドロールまで、全てが心地よい。敢えて難癖をつけるならば、原作準拠なのかもしれないがツチダのモノローグは不要だと感じた。