きえ

南瓜とマヨネーズのきえのレビュー・感想・評価

南瓜とマヨネーズ(2017年製作の映画)
3.6
魚喃キリコさん原作漫画の実写化。漫画に疎い私は全く存じ上げず苗字を何て読むか分からなかったのだけどナナナント‼︎‼︎『なななん』と読むそうだ😱。だから登場人物の名前もユニークなのかな。

と言う訳でこの物語の登場人物はほぼ3人。ミュージシャンを夢見るせいちゃんと、同棲しながらせいちゃんの夢を支えるツチダ、ツチダの前に現れた元彼ハギオ。

恋愛映画の女性主人公に"ツチダ"とネーミングする斬新さだけど今の男からも昔の男からも下の名前で呼ばれる事はなくツチダの名前は分からない。唯一彼女が『みほちゃん』と呼ばれるのは無職のせいちゃんとの生活費を捻出する為勤め始めたキャバクラの源氏名つまり呼ぶ相手はツチダの事をよく知りもしない相手…と言うのは面白い対比だったりする。

ツチダは2人の男達を『せいちゃん』『ハギオ』と必ず名前で呼ぶのに対して男達は共通して『おまえ』と呼ぶ。せいちゃんが呼ぶ『おまえ』には日常と化した2人の関係と常に至近距離にいて名前を呼び掛けるほどにはない同棲部屋の狭さが表れてる。ハギオが呼ぶ『おまえ』には軽い関係を望む気持ちと他の女との識別のなさが表れてる。

こうしたちょっとした言葉遣いや描写に男女の心理や関係性が見て取れる。そこが今時の男女模様をリアルに映し出していて小作品にも関わらず観客動員を伸ばした要因なんだろうと思う。

描かれるのはその辺にありそうな恋…燃えるような熱い恋でもどうしようもない性愛でもなく淡々と続く男女関係、何となく再開された男女関係なのだ。

ツチダとせいちゃんの同棲生活は紛れもなく日常の連続。共に生活する中で生まれる倦怠や些細なすれ違いの蓄積がやがて"同棲を続ける意味"についての自問に変わる。ただその自問には"迷い"と言う移行期間があって、この物語は恋愛映画と言うよりはツチダの迷走期間を映し出した作品として見た方が少なからず愛しさが湧く。

わたしって何…
何がしたいんだろう…
今の男と昔の男、2人の間で揺れ動く女心に論理なんてない。恋の終わりを何となく認識しながらなかなか抜け出せない男女関係をとてもリアルに映し出している。

そのリアルさの中で昔の男ハギオを演じたオダギリ・ジョーがもうハマり役過ぎる!見たかったオダギリ・ジョーはやっぱこれだ!責任って概念がまるでないようなフワフワした軽さ。こんな男好きになっても幸せになれないの分かってるのに惹かれてしまうだめんずの魅力をオダギリ・ジョー以上に演じられる人はいない!マジでエロかっこいい(役はどうしようもないけど…)。という訳でこの作品の1番の見所&収穫はオダギリ・ジョーだった。

この作品はミュージシャンを夢見る男が描かれてるにも関わらず音楽シーンや演奏シーンは意図的に?カットされている。この作品のサビを奏でた唯一にして一番のせいちゃんの歌声が、だからこそ際立って胸にジーンと迫った。

恋愛末期の共依存から迷走と言う猶予を経て自らの選択で歩き出すまでを綴った等身大の男女の物語は共感と言う括りでは語れないけど、それでもどこかあるあるを感じる作品だった。

でも結局、南瓜とマヨネーズと言うタイトルの意味は分からなかった。超簡単な一品料理になり得るし相性はとてもいいけど…
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