南瓜とマヨネーズの作品情報・感想・評価 - 240ページ目

「南瓜とマヨネーズ」に投稿された感想・評価

人間の傲慢さをまざまざと見せつけられた。
日常の中にいると、当たり前ゆえにその日常が奇跡の連続であることに気づけない。
互いに好きになるだけで天文学的な確率だし、ずっと笑い合っている未来を想像していたのに、いつしかそれ以上を求めちゃったりするうちに、ひょっこり顔を出したデキモノが薬を塗っても治らないイボになっちゃったりする。
そんな経験は誰しもあるのではないだろうか。だからツチダとせいちゃんを他人事とは思えず、愛おしく思えてしまうのだろう。登場人物たちは生きるのに一生懸命で、誰も悪くない、ハギオですらそう思った。

新鮮なうち、大切にできるのはごく普通のことで、要するにそのあとなんだよなぁ。
ツチダは27歳で、ほぼ同い年。
ぼくも自分が何をしているのかわからなくて、まだまだ迷子の誰かさんです。
たきび

たきびの感想・評価

4.3
現実の恋愛そのものでした。ふたりの間に残ってるのは恋の残骸みたいなものと生活。好きな人を大切したいはずなのに、思い通りにいかない。「なんでこんなことになっちゃったんだろうね。」という台詞が心に突き刺さりました。ほんとにそのとおりで。関係が終わってゆく理由は説明がつかないし、為すすべがない。せいちゃんは苦しかっただろうなあ…。
kumiko

kumikoの感想・評価

2.0
こういう男と女、日本だけでどれくらいの数いるんだろう…

私はあまりに共感出来ない事が多すぎて、かーなり引いての鑑賞!
それぞれ演技はうまいのに、後に何も残らない まるで二人の未来のようだ。
最近、こういう種類の邦画が多いのは気のせいだろうか…
ryotaikuma

ryotaikumaの感想・評価

4.0
こういう映画を1人で観に行ったりするから俺はいつまでたってもダメ
閉鎖的な空間の部屋で共依存しているカップルが別れられずにいる。
「私の彼氏の夢が実現するのが私の夢」
「音楽活動が上手くいかずにヒモ状態」
それでも2人が幸せならそれで良いじゃないか。と思いたいけど長くは続かない幸せ。
それはお互いに気づいていて、一緒に居ることしか意味が無かった日々。
愛人契約して生活費を稼ぎだした彼女に激怒して変わりだした彼氏。
見ていて心がズキズキする恋愛。
そして現れる元彼。
何も持ってないけど大好きだった元彼。
夢を持っているけどすれ違い始めた彼氏。
見ていて辛い感情が描かれている映画でした。
最後の2人の距離感がとても良かったです。
ぞの

ぞのの感想・評価

-
特段画が美しい訳でもなく、ストーリーが良い訳でもなく、印象深いシーンもない。悪くないけど、決して面白くはない。邦画の王道のような映画だなあという感想です。
R

Rの感想・評価

4.0

「ハギオ!」

で胸をえぐられた、、

ハギオと再会して一気に好きが蘇るあの感じがすごく分かって心にきた。

太賀、初めてちゃんと見たけど、演技うまいし若干池松壮亮っぽくて好き。

ガレージのシーンで大好きなバンドのポスターが臼田あさ美越しに映ってて嬉しかった。
み

みの感想・評価

3.8
ツチダ、せいちゃん、ハギオそれぞれダメな人。でも愛おしくなっちゃう
誰の恋愛も同じようなどうしようもなさが必ずあるんじゃないかなと思いました。
原作読んでみたい〜
CHIDAFAX

CHIDAFAXの感想・評価

3.4
みんな演技うまかったし、演出がリアルさにこだわった感じだったからすごい良かったけど、最初らへんの女子2人がライブハウスで並んで喋りながらリズムを小刻みにのってる?あのリズムの小刻みがあってなさすぎて、え?てなった。あそこだけすごい覚めたなー。せいいちが一瞬だけ山岸にみえた。
TOSHI

TOSHIの感想・評価

-
漫画(特に少女漫画)を原作とした映画の多さには、「何故こんな物を映画にするのだろう」と感じる事があるが、魚喃キリコの「南瓜とマヨネーズ」を冨永昌敬監督が映画化と聞いて、期待は高まった。
バンドから脱退しスランプ状態のミュージシャン・せいいち(太賀)と同棲している、ツチダ(臼田あさ美)。ツチダは、せいいちが新たに曲を書き上げ、音楽活動を再開する事を心待ちにしている。夢を追う彼氏をサポートする彼女と、それに甘んじてヒモ状態の彼氏。世の中に、沢山いそうなカップルだ。かつて私が住んでいた下北沢の街の雰囲気もあり、作品世界がスッと自分の中に入って来た。
ライブハウスで働くツチダ(せいいちとも、そこで知り合った)は生活費のため、せいいちに内緒で、夜のキャバクラの仕事を始めるが、年齢を適当にサバ読み、客のスケベオヤジからルール違反なのに、胸を揉まれたりする。彼女は客である安原(光石研)から、もっと稼げる仕事があると、暗に愛人関係を持ちかけられるが、あっさり付いて行く事に、ツチダの性に対する感覚が無防備な感じがする。
せいいちは自分が抜けた後、音楽会社と契約し、現在はグラドルの女性・尚美(岡田サリオ)をボーカルに据えているバンドから、復帰を打診されるが断り、理屈ばかりこねて何もしていない事を批判される。
隠していたお金を見つけた事で、ツチダが他の男と肉体関係を持っている事を知ったせいいちはその金を拒否し、ツテで八百屋のアルバイトを始めるが、ツチダがキャバクラを辞めライブハウスだけで働き始めた矢先、元カレ・ハギオ(オダギリジョー)が観客として現れる。ハギオは自由奔放かつ女好きで、ツチダがハギオにベタ惚れだったのを見透かして、駆け引きを楽しむような、ややナルシスティックな男である。かつてハギオの子を妊娠中絶したツチダは直ぐに、ハギオにのめり込んで行く。
私は元々、イケメンだからと言って、明らかに他の女性とも遊んでいる男性に惚れる、女性の心理が分からないので、ツチダのハギオへの感情には共感しづらい部分があった。まして金もなく、平気で立ち呑みの居酒屋に連れて行き、金を借りたりする男の、どこが良いのか(そういう感情を喚起させる、演出なのだが)。男性の恋愛は「名前を付けて保存」、女性の恋愛は「上書き保存」と言われるのはウソだったのか。ツチダの、ハギオへの未練の引きずり具合に驚く。
ツチダは、先の見えない現在の男と忘れられない過去の男の間で揺れ動く事になるが、二人の男はタイプは違っても、自分に甘く甲斐性が無い、いわゆるダメンズとも言え、ダメンズに夢を託したり、面倒を見る事が自分の存在感と考えているかのようなツチダも、イタイ女に思える。

原作はモノローグと一体となった作画が印象的だが、映画ではモノローグは極力、絞り込まれている。モノローグ=言葉を追求しても、原作は超えられないという意図のようだ。しかしツチダの、「わたしたちはもう終わっているのかも知れない」、「自分が何をしているのか分からない」等のモノローグが効果的に使われており、全体のトーンに影響を与えている。ツチダはハギオと別れ傷ついていた所を、せいいちに救われたため、自分から別れを言い出す事はできないが、「せいちゃんが振ってくれたらいいのに、そうすればハギオのところにいけるのに」と、人任せでズルイ考え方をする。そんなツチダの、恋愛の結末は…。遂に書き上げた曲をせいいちが歌うシーン、ツチダの最後のモノローグに感動させられた。

恋愛の痛みや苦しみなどの感情が、淡々と描写されているのが心地良く、さりげないシーンがしっくりと、しんみりとくる、漫画が原作である事が不思議に感じる程の、リアルな作品だった。
不満点としては、ツチダと安原の関係で、ホテルの部屋で体操着を着せられたり、事後にベッドで横たわる場面があるが、具体的な行為は描かず、別の場面に切り替わってしまうのが気になった。本作のような作品こそ、そういった描写を逃げず、嫌がるのにいやらしく舐め回されるような描写が必要だったのではないだろうか。
またバンドや、せいいちの音楽性がよく分からず、せいいちが書きあげた曲には、目指していたのは、こんなモロにやくしまるえつこ調の曲なのかという感があった。

タイトルの意味は、ツチダとせいいちの同棲関係(肉体関係は描かれない)は、日常生活の中での、カボチャとマヨネーズの組み合わせと同じ程度の関係という暗示だろう。同棲する彼氏との間には確かな物がなく、愛人の真似事をしたり、元彼になびいたりする。こんな恋愛関係自体は昔からあるが(原作は、1990年代末の作品)、男女の恋愛模様とは、昔も今もそうは変わらない物であり、見事に今を生きる人にこそ訴える、等身大の恋愛映画に仕上げていた、冨永監督の手腕に感嘆した。