静かな鳥

孤狼の血の静かな鳥のレビュー・感想・評価

孤狼の血(2018年製作の映画)
3.4
"警察じゃけぇ、何をしてもえぇんじゃ"
本作鑑賞後、大上章吾(役所広司)を真似て声に出して読みたくなるこの台詞。「警察」の部分を「映画」に変換すれば、本作のことを端的に示す一文になる。
やれコンプライアンスだ、やれ忖度だという今のご時世、「映画として製作された意味」に自覚のある作品を。テレビでは見ることのできない物語を。初っ端、粗い画質で映し出された"岩に打ち付ける荒波"と「東映」マークから既に強く伝わってくる作り手の心意気。

2018年の邦画群の中で、堂々と異彩を放ち他を寄せ付けない無類のエンターテイメントとして最強。普段邦画で暴力描写や性描写のある作品は小規模公開に追いやられ、また如何せん人を選ぶものになってしまいがちである。しかし本作は(R15ではあるが)誰だろうと楽しめて、"血湧き肉躍る"という言葉に相応しい娯楽作として成立しているのが凄い! 東映にとって本作は、東宝における『シン・ゴジラ』のようなものだ。ポスターなどのビジュアルマーケティングも最高なので、多くの人に観てもらいたい作品。エンドロール後、劇場から出るときに肩で風切って歩きたくなること必至である。

『仁義なき戦い』については知識が皆無なので語りやテロップ等のオマージュは良く分からず。また、序盤は呉弁に慣れるまで時間がかかった上に一気に物語背景を説明するナレーションに置いていかれたので、正直人の名前や組の名称の理解がちゃんと及んでいないまま観ていた(五十子会は誰が属している組織か、後に人物相関図を見て初めて知ったほどなので…)。が、本作のもつ圧倒的な「勢い」のお陰で、ラストまでずっと魅入っていることが出来た。無骨に暴走するその勢いは、韓国ノワールを彷彿とさせる。

兎に角、この作品に登場する漢たちは誰彼構わず皆ギラギラしていた。冒頭から彼らは脂ぎって汗まみれ。スクリーンを越えて肌に感じる暑苦しい熱気。心なしか、劇中での雨も粗野な降り方をしているように見える。

灰原隆裕による撮影も良い意味で荒っぽい。取調室で潤子(MEGUMI)から話を聞くシーンでの顔面ドアップ。荒々しい手持ちカメラ。予告編の「加古村を壊滅に追い込むんど!」のカットに代表される突如のズーム。逆に、吉田(音尾琢真)に撃たれた柳田(田中偉登)の遺影のアップから徐々に後ろに下がっていって、尾谷組の部屋全体をフレームに収める独特の引きの画もある。大上が放火をする際に、彼のサングラスに炎が映っているのを捉えた奇っ怪なカメラワークも面白い(ただ、カメラを斜めに傾けながら撮られた建物の外観ショットの多用はクドい)。クラブで日岡(松坂桃李)が大上を説得する場面や、14年前の出来事について里佳子(真木よう子)が日岡に明かす場面では、しっかり長回しで観客を引きつける。

要所要所でコミカルな描写を入れてくるのがまた抜かりない。パチンコ店にて日岡は、因縁を付けに苗代(勝矢)のもとへ向かいながらコーヒーの蓋をポイっと放るのだが、それが他の客の頭に当たるのが画面の端に映っていたり、その直後のビショビショ状態の苗代にかかっている液体は、自分の飲んでいた牛乳と合わさって"コーヒー牛乳"になっている。大上のことを日岡がつい殴って気絶させてしまうのもギャグっぽい。あと、クライマックスに出てくる「やっちゃれ会」も意味不明で笑える。

役所広司は言わずもがな、他のキャストの方々も素晴らしかった。この作品において背骨的な存在が不在になる後半は真の勝負どころだと思うが、松坂桃李が「本作は日岡の物語である」と芝居で体現することでその勝負に勝っていた。ここ数年の目を見張る彼の活躍ぶりも、実力あってこそのものなのだなと改めて痛感。
薬剤師の阿部純子や、出番は少ないものの鼻ティッシュがインパクト大な竹野内豊も良かった。音尾琢真は終始なんとも言えない「おかしみ」がある。ピエール瀧は白石監督の『凶悪』に引き続きまたしてもヤバい役なんだろうか、と勝手に想像してたら実際は全然違っていて拍子抜けしたが、これまた彼本来の人柄が滲み出たようなキャラクターになっていて好み。
あとは何と言っても、中村倫也ではないでしょうか。ヤクザキャストの中でも比較的童顔だからこそ際立つ、狂犬のように血走った目! 夜の街中、拳銃片手にカチコミに行く彼の後ろ姿がめちゃくちゃカッコいい。

バイオレンス描写に関しても、徹底的に容赦なくやってやろうとするその姿勢には拍手をしたい(ただ、そこまでやるのなら取調室で椅子の角に口を咥えさせられた男が、あの後どうなったのかも映してほしかった)。人体破壊は何のその、名の知れた俳優がゲロを吐くシーンで吐瀉物を隠さずに撮るのって、この規模の邦画では意外と珍しいのでは?
しかし、作り手が暴力や拷問におけるグロテスクさを、過剰かつ露悪的で"見せつける"ように演出しているのが不満。前述した「テレビじゃ出来ないことをやろう」という熱意は分かるが、その目的だけが一人歩きしてしまい、その結果安直なバイオレンスを作品全体へ乱暴に割り振っているだけに思える。娯楽作品としてのバランスを考慮して、今の形になっていることを考えると悩ましいのだけれど。また、"見せつけてくる"割にはグロ控えめじゃないか…と感じたが、少し前に観た内藤瑛亮の『ミスミソウ』で心がマヒしているだけかも知れない。

あと、安川午朗による音楽は非常にアツくて好きなのだけれど、かなり大音量で流れるうえにパチンコ店の場面など環境音の音量も結構デカめなので(劇場自体の音響が悪かっただけかもしれないが)台詞が聞き取りづらい箇所が少なからずあった。キャストが豪華な分、中村獅童を始めとして出オチ感のある人がいたのも勿体ない。

個人的に白石和彌は、良くも悪くも手堅い演出をされる方という印象が強い。今回もストーリーに寄り添った演出が裏目に出て、終盤にかけて話がエモくなるとスローモーションの過多が目立つのが残念。
クライマックスはもっと組同士のドンパチ抗争になると思っていたら、意外にもあっさりしている。でも、やっちゃれ会の太鼓のリズムがBGMとしてシーンを盛り上げるのは最高だし、日岡の「手錠をかける」という行為が序盤の苗代へ「手錠をかける/かけない」と色々な意味で対比になっているのが巧い。

豚や狼を用いて語られる"喰う/喰われる"の構図。警察とヤクザの対立、という単純な図式が大上の存在によって複雑化し絡み合っていく。暴力団対策法成立前の昭和だからこそ、ヤクザは格好から分かりやすいし、そもそも現代の人々より外見からその者の人となりが何となく伺えてしまう。そんな中、思惑が読めず善と悪の境界を跨ぐように毅然と立つ大上の姿は極めて異質だ。彼のその"血"を受け継ぐのは誰なのか。そういった問いが、物語が進むにつれ次第に浮かび上がってくる。
養豚場で豚の足元に埋もれていて、新たな持ち主へと受け渡される"孤狼"があしらわれたジッポー。それは作品内における「継承」というテーマが集約された象徴的なアイテムだが、ベテラン俳優から若手俳優へ、"あの頃"の東映から今の東映へ、と二重三重に「継承」がシンクロしている。"血"は本作で受け継がれたが、それを生かすも殺すも私達の世代にかかっている。継承の火は、まだ灯ったばかりだ。
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