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ファースト・マンのdojiのレビュー・感想・評価

ファースト・マン(2018年製作の映画)
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明確な演出意図のもと大きく映画の舵をとっていくのがチャゼルのつくりかたというのはこれまでの作品からとても感じていて、その方向性がどうも過去二作分合わなかった。それが本作ではようやくというべきか、監督が描きたかったことに共感してしまって、すべての演出にこころが動き、ラストには深く感動してしまった。いままでひどいこと言ってすみません。

ときどきふと思うのだけれど、仕事であったり生活のスタイルであったり、職業や肩書きなどといったラベルというものは社会というものがつけるけれど、突き詰めていくとその対象自体には意味というものは消失していくのではないかとおもう。その人生を選択した、もしくは選択せざるを得なかったひとにとって、その契機としてはタイミングであったり意志や環境などが関係したのだろうけれど、その選択した道の奥の奥へと進んでいくうちに、その対象がそれである必要というのは、だんだんと忘れてしまうくらい、それは個人的な探求としての抽象的なものへと変質していく。

ニールにとっても月へ行くということ自体、たしかに動機としては十分なものがあったには違いないけれど、娘の死を境に取り憑かれたようにのめり込んでいく様をみると、もうそれは月へ行くことという意味は次第に薄れ、のめり込んでいくこと自体の意味が膨らんでいき、社会的な意味と大きく乖離していくことになる。そして仲間の死が彼の中で大きく積み重なっていくことで、その重みでニールはどんどんと個人的な深みに入り込んでしまう。その息苦しさを、一般的にスペクタクルとされるようなシーンにて俯瞰的なショットではなくニールの視線で描く演出が加速させていく。

ラストシーンにかけての月への着陸シーンはほんとうに見事だと思う。少しずつ月へ行くことの社会的な重大性をさまざまなシークエンスで散りばめていき、ラストの飛行から着陸の過程では俯瞰ショットであらためて月に行くということの途方もなさを観客に思い出させる。それでも、月への第一歩を踏む足をとらえるカメラはニールの目線だ。きっと細かな砂のかたまりのようなものが、足の下で砕けるんだろうなと、観ながら生々しくも想像してしまった。

そしてラスト、彼は月の上で個人的な別れを告げることになるのだけれど、ここでぼくはほんとうに驚くほど泣いてしまった。彼にとって月に行くというのは、そういうことだったんだなと、大きな社会としてのドラマの真っ只中で、彼は彼の中でのひとつの決着をつける。素晴らしいシーンだと思う。

テルミンやシンセサイザーをつかったという音楽と音響も素晴らしかったし、フィルムの質感とCGに頼らない徹底とした姿勢は、それはクリストファー・ノーランに支持されるよなあと思った。演出力には感服しきりなので、脚本はほかのひとが書いたもののほうがぼくとしては好みな気がする。次回作も観ます。
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