しゅん

わたしたちの家のしゅんのレビュー・感想・評価

わたしたちの家(2017年製作の映画)
3.8

(パンフレットに私のレビューが伏見瞬名義で載ってます)

試写でみました。

暗い部屋で、白のワンピースを着た少女達がエレクトロニックなポップスに合わせて輪になって踊る。シンディ・ローパーのGirls Just Want To Have Funを思わせる、一度メジャーと六度マイナーのコードの反復の中で、すべてはうすぼんやりしていて、ライトスタンドの丸みを帯びた台形だけが少しクリアで。突然、少女の一人が明かりを灯すと音楽が鳴り止む。シャッターの音が聞こえたと少女は言う。他の少女達は気に留めず踊りを再開するが、もう音楽は鳴り響かない。先程まで確かにあった遊戯の感触は、もう戻らない。

この映画は遊戯の終わりを幾度となく確かめる。終わりはいつだって音の浸透と共に訪れる。父を失った母娘。記憶喪失の女と謎の少女。一つの空間を知らずのうちに共有している二つの「わたしたち」は、それぞれの存在を知りつつある。音を通して。まず、海岸で聞いていたはずの海の音が、家の中に入っても持続する。これが予兆となり、船で眠る女を呼び起こす。それ以降、「わたしたち」の遊びは「わたしたち」におびやかされる。微かに、だが確かに聞こえる声。赤と青で分断された二つの世界は、色のない響きによってつなげられてしまう。やがてその回路を通して、障子に穴が空き、花瓶は投げられ、プレゼントは送られるだろう。互いが互いの戯れを邪魔していた二組のわたしたちは、最後にある種の解決を見るかに思える。土につながれて発光するクリスマスツリーの後ろで溶け合う、薄赤い夕焼けと青々しい海のように。だけども、最後に待ってるのは、あまりに当然の「終わり」である。女の子は楽しみたいだけ。なのに全てはあっという間。箱をあけたらさようなら。なによりやるせないのは、終わりを選ぶのは「わたしたち」自身なのだ。この映画の切なさは、常に終わりを先取りしてしまうその意識に由来する。わたしたちの賑やかな声が聞こえるこの家より静かな場所を、わたしたちは知らない。