北野日奈子

勝手にふるえてろの北野日奈子のレビュー・感想・評価

勝手にふるえてろ(2017年製作の映画)
5.0
2回目

1回目
2017.12.25 新宿シネマカリテ
僕が映画を見る時、感じる感じ方は「おや、すてきだぞ」か「あれ、ひどいなあ」の二通りしかない。それ以外には、ない。しかし、この映画を見て、初めて僕はそれ以外のことを感じた。それは以下のようなものだった。

ヨシカ(松岡茉優)が左胸につけた付箋の赤が彼女と「ニ(渡辺大知)」を出会わせ、「ニ」からヨシカへのクリスマスプレゼントはその赤い付箋であった。ヨシカは「ニ」とは何度も偶然のようにして出会うのだが、「イチ(北村匠海)」とはあらかじめ決められたルートでしか会うことができなかった(自ら行動して同窓会を開き、会う/新年会の会場になった旧友のマンションへの道程で必然的に会う)ということからも、ヨシカと結ばれるのは「ニ」であるというのは自明のことではあった。しかしながら、その二人が結ばれるラストシーンはあまりにも美しい。

会社の飲み会を途中で抜けて「外」に出たヨシカに「ニ」が話しかけたことに始まり、それまでまともな会話を室外でしかしてこなかった二人(例えば地下のクラブでは音や人混みのうるささに痺れを切らした「二」がヨシカを「外」に連れ出したのだったし、無論ラブホテルの「中」に入ることなどなかった)。しかし、ラストで「ニ」はヨシカの部屋の「中」に足を踏み入れ、二人の会話は初めて室内で交わされる。「1」と「1」同士であった二人はヨシカの部屋でようやく「2」となったのだ。(ヨシカのジャンヌ・ダルクの話を受けて)「ニ」は偉人でもなんでもないヨシカであっても側にいたいと言う。そのまなざしはカフェのメイド(趣里)や釣り人(古舘寛治)などといったこの映画を彩る何人もの名前のない人たちへも向けられているかのようだ。「イチ」から名前を覚えてもらえていなかったヨシカは、その時、彼らと同じようにその存在を肯定されたのだった(思えばこの映画に流れる音楽の中にも、既存のクラシック曲のメロディを明らかに彷彿とさせながらその曲ではない、という無名の曲がいくつかあった。分かりやすいところでは、動物園でキスを迫ってきた「ニ」からヨシカが逃げる際に聞こえてきたのは、有名な「天国と地獄」によく似た名もなき曲だった)。「ニ」が部屋の「外」に向かって叫んだ「ヨシカとの子供を作りたい」という願いは「1+1=2」の変奏のようにも響く。そして、「ニ」を押し倒したヨシカの左胸から落ちた赤い付箋は、当然のように彼の左胸に付くこととなる。雨で濡れたシャツから滲み出した水によって、付箋は徐々に「ニ」の胸に定着してゆく。「ニ」からヨシカに贈られた赤い付箋はヨシカの心(左胸に存在するものを私たちはもちろん知っている)を経て今ふたたび「ニ」に戻ってきたのだ。一体、かつて一辺の紙片がこれ程までに饒舌なことがあっただろうか?