Daisuke

勝手にふるえてろのDaisukeのレビュー・感想・評価

勝手にふるえてろ(2017年製作の映画)
4.6
[勝手に進め]

年始に鑑賞したものの、熱っぽくなりすぎていたので、一度冷やしてから感想を書こうかと思い立っての今日。

去年見ていたら間違いなく「個人的ベスト10」に入れていたと思う。
それほどに心の奥へと入り込んできた作品だった。主として描かれているのは拗らせている女性だけれど、男の自分にもその気持ちが痛いほどわかるからだった。

この映画では私が感じたのは二点。
「拗らせとの戦い」と「過去の虚像と今」という部分

「拗らせる」とは、どういった状態なのか。物事を難しく処理してしまう事だけれど、それには「自意識」が深く関わっている。自分自身を「他者から見た自分」をイメージし、そのイメージと現実のズレにて苦悩する。
これは作中でも印象的に登場しているSNSによる部分や、Lineなどで自己をキャラクター化する現代では、その自意識がさらに増幅されているような傾向を感じたりする。

そして「過去の虚像」なんてカッコよく書いたけれど、自分は昔から過去の事をよく思い出しては振り回される。それこそ『ララランド』の終盤のシーンのように「ありえたかもしれない過去」と「実際に起きた過去」が交互に現れては、対話し、融けては「虚像」となって自分の中に落とし込まれる。

そして「過去の虚像」に「ストーリー」を与える事で、拗らせスパイラルとも言うべき泥沼のような「自己完結の世界」が出来上がる。

そう。自己完結だ。

拗らせる事も、過去の虚像と対話する事も。

自分だけの絶対的な世界に対し、そこへ踏み込んでくる者とどう接すればいいかがわからない。自分を変容させてまで他者と付き合う事が愚かに感じてしまう。
そんな時期をとても懐かしく、今でもフッと蘇ったりもする。

この映画で松岡さんの熱演(怪演)を見てるな中、過去の自分自身を見ているように「そうなんだよ、でもそうじゃないんだ」と何度も語りかけたい欲求に満ちてしまっていて、一瞬映画だという事を忘れていた。

そんな彼女が、自分自身への言葉として言ったあの言葉と「ある選択」を行ったラストシーン。涙がとめどなく流れてしまった。おそらく、自分も経験してきた、あの瞬間で幕切れしていたからだ。

人生で最も困難な跳躍。

進め。

勝手に。
Daisuke

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