ToshiKato

勝手にふるえてろのToshiKatoのネタバレレビュー・内容・結末

勝手にふるえてろ(2017年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

タイトル : ヴィタメールおじさん
ー映画「勝手にふるえてろ」ー

私の家から最寄り駅までの間に、川がある。
その川の橋の上で毎朝すれ違うのが「ヴィタメールおじさん」だ。
40代くらいで、メガネをかけている、細くて地味な男性なのだが、なぜ彼が「ヴィタメールおじさん」なのかというと、焼き菓子のお店の「ヴィタメール」の紙袋をいつも持っているからだ。
それだけなのだが、背筋を伸ばして颯爽と橋を渡るヴィタメールおじさんは、あの日からなんだか気になる。 

それはいつもより1時間早く家を出たある朝、私は橋をこえた先にある、駅の近くの喫煙所で、煙草を吸うヴィタメールおじさんを見た。
ヴィタメールおじさんが煙草を吸うことにも少し驚いたが、それよりなにより、この人は1時間近く、毎朝ここで煙草を吸っているのだろうか。
ちらっと目があった(ような気がした)が、もちろん話すことはなかった。
似合わない煙草を時間をかけて吸うヴィタメールおじさんに、はかりしれない孤独を感じ、私は通勤の地下鉄の中で、あの紙袋の中にあるものを少し想像してみた。 

映画「勝手にふるえてろ」は、中学校で同じクラスだったイチくんに10年間片思いをしている、OLのヨシカを主人公とした物語である。
中学生のヨシカはいわゆる陰キャラで、人気者のイチくんに近付くことができず、教室の隅っこから「視野見」を繰り返していた。
(「視野見」とはヨシカの造語で、対象を直接見るのではなく、目の周りの全神経を集中させることで、視野の隅っこにギリギリ入る対象を見つめる行為のことである。) 

イチくんに恋してから10年たった今も、ヨシカは相変わらず陰キャラ(というよりこじらせ系?)で、趣味はネットで絶滅生物について調べること。
環境に順応しようとして進化した結果、絶滅してしまった生物たちが好きな理由は「私に似てるから」。
(確かに視野見も一種の進化と言える…)
ネットで購入したアンモナイトの化石のうずまきを指でなぞり、満足そうに微笑むヨシカは、正直気持ち悪い。 

そんなヨシカに思いを寄せる同期の「二」は、ヨシカに負けず劣らず変人で、なんかノリがうざい。
数字の2が癖字で読めないことから、ヨシカは彼に「二」というあだ名をつけた。
好きを全面的に押し出して、体当たりでぶつかってくる「二」に押されながら、なんとなく付き合っているヨシカ。 

そんなこんなである日、ヨシカはイチくんと再会する機会を作り出し、絶滅生物の話題で奇跡的に意気投合したのだが、イチくんが私のことを「君」と呼ぶことに気づく。
その理由を問うと、イチくんは「君の名前、なんだっけ?」 

名前すら覚えられてなかったことに深く傷つくヨシカは、心の内でいつも語り合っていた駅員さんや
近所の釣りおじさん、お人形みたいな金髪のカフェ店員も、みんなみんな名前すら知らない赤の他人であることに気づいて、うずくまって大泣きする。 

これって私たちの日常の話だよなって思う。
街で通りすがるだけの、どこの誰かもわからない人たち。
その人たちにとっては、この私だって名前もない透明人間なのだ。
それでも彼らと同じ地下鉄に乗り、同じスーパーで食材を買い、交差点の信号が青に変わるのを隣で待つ。
あの人もこの人も、同じ街に住み、生活している。 

玄関でのラストシーン、ヨシカは「二」の額に指でうずまきをかく。
私も、あなたも、「アンモナイト」だ。
人間だれしも「アンモナイト」であって、誰かにとっては、今にも消えてしまいそうなものだけれど、
知り合って、名前を呼びあって、話をする。
そういう行為を通して互いの存在を確かめあうことで、私たちは絶滅せずに、どうにか生きていけるのではないだろうか。 

いつかヴィタメールおじさんと話をする機会があったら、橋の下に亀がいることを教えてあげよう。
もう知ってるかなあ。
ToshiKato

ToshiKato