ヨシハラ

勝手にふるえてろのヨシハラのレビュー・感想・評価

勝手にふるえてろ(2017年製作の映画)
5.0
これぞロマンス。
冒頭から中盤まで、ヨシカは名前も知らされず、関係も明らかでない人物たち(それは釣り人であったり、おさげのコンビニ店員だったり、金髪のメイドであったり)とまるで友人のように観客に振る舞う。
しかし、そんな奇妙な調和にあふれた画面は旧友のタワーマンションにて、ヨシカの名前も覚えられていなかったことが長年意中の人であった「一」によって明らかにされたことをきっかけとし崩壊し始める。つまり、ヨシカは「一」にとって「ヨシカ」であると自認していた(反省文の途中にイタズラを織り交ぜることは自分の影響と考えていたことや、運動会の閉会式で自分のことを見たと回想していたことから)のが突然自らはありふれた記号でしかないということが発覚してしまったのである。

しかし、これを悲劇などと大げさに呼ぶのもためらわれる。なぜなら、これが映画である時点で既に全ては虚構であることが約束されており、登場人物は言ってみれば端から記号のようなものなのだから。隠蔽されていた事実が露呈した瞬間に友人として接してきた釣り人やコンビニ店員は冷酷に、あっさりと記号として映し出され、またヨシカでさえも自らが記号であるという逃れられない運命を目の当たりにするのである。
そんな中、ヨシカを「ヨシカ」と認識してくれていた「二」に、処女であること(いくらでも交換可能な要素)も好意の一因だと告白されたことはヨシカにとってあまりにも残酷な追い討ちであっただろう。
ラストシーン、「二」(数字など、最もわかりやすい記号と言える)を初めて「霧島くん」と名前で呼んだことはヨシカにとって、いや映画にとって逃れられない事実からの逃避行とも言えるのではないだろうか。