エマ

勝手にふるえてろのエマのレビュー・感想・評価

勝手にふるえてろ(2017年製作の映画)
4.2
2回目の視聴でやっとタイトルの意味を考察することが出来た…😂😂(⤵︎ ⤵︎以下に記入)

初めて観た時新感覚すぎてよく分からなかったです

でもかなり好きな作品です。

松岡茉優さんの演技力すごいなぁと思わせられますね。

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・「勝手にふるえてろ」(タイトル+最後のセリフ)の意味の解釈

〇最後のセリフ編
2回目でよく見聞きすると最後の2との言い合いで、(曖昧ですが)

2「おれヨシカの良さがわかってるの結構お目が高いと思ってる」
ヨシカ「はー?傲慢で《震え》が来るわ」

みたいな台詞があったんですね(聞き間違え出なければ)。
ヨシカ視点だと「相手をそれとなく理解出来ている」という傲慢さに対しての震えなんです。

つまり、そのヨシカが2に対して「勝手にふるえてろ」というセリフを吐くということは「私の傲慢さを勝手に感じろ」という言い換えが出来るわけで、「あなたの事を理解している気になりますよ?」というこれからの2人の将来を想わせるサインでもある訳です。
また、ヨシカはその言い合いの中で「わがままを許してくれ」というようなことを言っています。
これは、「甘えたり自分勝手な部分も愛して欲しい」というような意味になるでしょう(回りくどすぎますが)。

〇タイトル編
この作品の中で、最もヨシカが愛し、全てを理解している(気になっている)1ですが、途中で自分の名前を知らないことが判明します。

ここでのショックはただ名前を知られていなかったというショックだけでなく、「《1が私の名前を知らないこと》を知らなかった、全てを理解出来ているつもりだったのに」というダブルパンチな訳ですね、そりゃ歌も歌っちゃいますね。

それからは、ヨシカの行動に変化が訪れます。話したことの無いゴミ回収のおばちゃんに声をかけてみたり、最終的には少しずつ社会に対して歩み寄ろうとする気持ちが読み取れます。
これは、
「これからは私は1だけでなく、皆さんのことも知っていきたい、知った気になりに行きます、傲慢かもですけどね」
=「勝手にふるえてろ」(最後のセリフ編と同じ理論)
ということになるのではないでしょうか?

みんなはどんな捉え方したのかな…、とても気になります。

・オマケ「本作における《化石》の描写の意味」考察

この作品で多く触れられる「化石」ですが、どのような印象を受けましたか?
私は、ヨシカが「歪かぁ、それで自分と重ねちゃうのかな…」みたいなことを言うシーンがありますがそれだけではないと考えました。

「化石=形はあるものの既に存在しない」とこの作品の中では定義するとします。
作品の途中での印象的なミュージカルのようなシーンでのように、「自分が認知されていない、認知していない存在」についてよく触れられています。
認知されていないということは存在しないことと同義であり、「ここにいる」のに存在していないと見なされているヨシカ(1に名前を知られていなかった)と化石が良いメタファーになっているのではないかと考えました。
2が直後に名前を呼んでくれるシーンも示唆的でしたね。
ヨシカと2が動物園にデートしに行くシーンは、「化石になっているような動物ではなく、今ここに存在する動物」を可愛がる所に2のヨシカに対する意思を感じることができます。

「私をくいとめて」にしろ、この監督の作品は考察のしがいがあって楽しいですね。

※あくまでも個人的な妄想考察です。あしからず
エマ

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