アラサーちゃん

サラブレッドのアラサーちゃんのレビュー・感想・評価

サラブレッド(2017年製作の映画)
3.5
まるでLGBTの映画でもはじまるのかというようなにおいの危うい映画だった。スリラーかといえばそれほどスリラーを感じることもなく、とはいえ奇妙な違和を覚えずにはいられないサスペンスだった。

なにかが違う。なにかがおかしい。間違っているわけではない、ただ、「正しくはない」。奇妙に何かがずれている、ゆがんでいる。そんな感じ。その正体がわからない。

なにで例えようかと思ったときに、ふいに頭によぎったのは「スイミング・プール」だった。あれほど詩的なミステリアスさはないけれど、それよりはもう少し現代的なあか抜けた感じがする、でも、表面に見えない女の美しさと恐ろしさを共存させて映し出したという意味で、わたしが「スイミング・プール」を挙げたくなる気持ちがわかるひともきっといる、はず。

(このあと「サラブレッド」や「スイミング・プール」のネタバレに言及するので気を付けてください)

感情を持たない不気味なアマンダ。周囲から浮いていても、後ろ指を差されても、親の期待をことごとく裏切っても痛くもかゆくもなんともない。

対して、これまで周囲の期待通りの優等生を体現してきたリリー。親からは信頼され、周囲からは「絵にかいたようないい子」というレッテルを貼られ、縛られている。

幼馴染だったふたりは、大人になってから幸か不幸か再会した。やがて、ずっと本音をひたすらに隠して生きてきたリリーは、アマンダの口車に載せられて、これまで仮面の下にじっと潜めていた汚く厭らしい本音をアマンダにぶつけることになる。

それからふたりの友情は誕生した。

いや、正確には復活した。幼いころ、ふたりには友情があった。建前という頑丈な囲いに覆われた友情が。
アマンダはリリーに対し感情移入できなくともそれらしく優しい言葉をかけて慰めてきたし、リリーはアマンダを奇妙だと感じながらもその本音を口にすることなく親しげに接した。お互い分厚い仮面を被ったまま寄り添っていた関係が、大人になったいま、図らずして素顔を見せつけながらテンプレートな親愛を微塵も感じさせない友情で結びついた関係になった。
それは相手に必要以上の関心も期待も求めない、自然体の友情へと形が変わっていた。はずだった。

物語はリリーが心の底から憎んでやまない継父の殺害へと発展していく。感情を持たないくせに人の感情の機微に敏感なアマンダは、リリーが継父を嫌っていることを即座に見ぬき、ごく自然ななりゆきとでも言いたげに、継父を殺害することをリリーに唆す。
「常識」「模範」「規律」という世界で生きてきたリリーは、さすがに突拍子もない提案にアマンダを突き放すが、しだいに、リリーは継父を殺したいという欲求に囚われはじめる。

ここで掘り下げるけれど、アマンダという女はあまりにも不気味だ。「喉乾いたならコンビニ行って来たらいいじゃん」くらいの手軽さで、リリーの継父の殺害を口にする。感情云々というより、まるで頭のねじが一本抜けている。
リリーがこれまで自身を押し殺してまで必死に隠し守り抜いてきたものたちが、アマンダのなかにはなにひとつない。ことごとく見当たらない。まるでちっとも持ち合わせていないのだ。

その異様さに圧倒される。この猛烈に身体じゅうを襲ってくる違和感は、このアマンダの非人間的な人格によるのかと錯覚するほど奇妙で恐ろしい。しかし、二章、三章、と進んでいくうちに、この違和の正体がなんたるかをわたしたちはおぼろげに見つけはじめる。

不気味が入れ替わっていくのだ。

まるでアハ体験の動画を見ているみたいだった。静かに、ゆっくり、さりげなく。誰も気づかないうちに、わたしたちの不気味の対象が、まさしく入れ替わっていた。アマンダからリリーへと。〝感情を持たないが故、無垢で本能的〟なアマンダから、〝理知的で狡猾であるが故、感情を持たなくなっていく〟リリーへと・・・

第一章のラスト、アマンダはリリーに関心を持ち、彼女について情報を得ようとベッドの上でノートパソコンを広げる。第二章、調べる内容は異なるが、ベッドの上でリリーはノートパソコンを広げている。
まったくおなじシチュエーションである。ここがスイッチではないけれど、ある意味、重なり合う部分ではあったと思う。何を考えているかわからず立ち尽くす気味の悪い後ろ姿だったり、色を失った視線の動きだったり、前半から後半へとふたりが錯誤していく部分はけっこうに見受けられた、気がする。
(この考察も観た後のものなので、どの部分が該当していたかというのがはっきりとした確信ではない)

だからこそ、と思う。これははっきりと自分でもそういう考察に行きついた、というわけではないし、いろいろと不十分だし、こういう可能性もある、程度にとどめて言及することなのだけど、それこそ「スイミング・プール」だったのではないかと思う。
夏の幻。彼女が書く、幻想的で美しいミステリー。ただのシナリオ。リリーは暗い過去などなにもなかったかのように着飾っており、ティムは殺害計画を知っている。継父は命を落としたし、アマンダは精神病院で穏やかに過ごしている。それだけが現実としてそこに横たわっており、それ以外のパーツについてはなにもかもわからない。わたしたちが見せられてきたすべてものは、彼女がわたしたちに贈るただの虚構だったのではないか。

最後の美しく完成された彼女が笑う表情がなんとも言えず目を引いた。