真田ピロシキ

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

4.0
スピルバーグは宇宙戦争以来ほとんど見てないので本来ならスルー対象だった。しかし今このタイミングで本作が日本公開されたのは奇跡的。ニクソン政権の後ろに安倍や麻生の顔が見えてくる。ラストでワシントンポストのホワイトハウス出入り禁止を命じると共に「妻にも会わせないようにしろ」と怒鳴るニクソンは笑えてしまう。メリル・ストリープを起用したようにスピルバーグにはトランプの影絵としてのニクソンだったのだろうが、まさか民主主義体制の同盟国でお粗末すぎる公文書改竄が罷り通るなんて予想だにしてなかっただろう。しかもどうせバカな臣民ばかりだから猿芝居で乗り切れると考えてやがる。憤りを覚えている人が多かったのか、地方の映画館でありながらこの硬い映画にほぼ満席。世の中ネットに溢れているような不正義を肯定することを恥ともしない連中ばかりではないらしいと安心した。

権力の監視者たるマスコミがどうあらなければならないか。分かっているようでいて実感としてはあまりないことを提示してくる。そういう点では少しお勉強くさい。権力者とは例え個人の人柄が好ましくても友人になるようではいけない。統治者にではなく国民に奉仕する存在でなければいけない。劇中で民主主義の根幹として報道の自由を唱えるように、その保証は最低条件でメディアを恫喝するような権力者は論外。…なのだが米国ですら御用メディアが大量生産されているようで少なくない人間がそれを肯定している。報道の自由もそれに通じる民主主義も受け止められる批判精神を有した民衆の担保があってのものだと痛感する。

国家機密の暴露に関しては疑問に感じる人がいるかもしれない。厳密に言うならばルール違反だが、杓子定規にルールを厳守するだけで正しいと言えるのか。イカサマと保身のために自国民が無意味な戦争で死んで行く。それに対して職務だからと自己正当化に逃げ込まず、良心の声に従い動けてこそ真の正義じゃないか。その受け皿になれるのがメディアの役割であり、その正しさを肯定するには怒れる民衆あってこそ。終盤で政府側の人間でありながらワシントンポストを応援する女性。彼女が描かれた意味はとても大きい。佐川にもあの100分の1くらいの道義心があったのならば。いや、他人のことを嘆いても仕方がない。せめて自分の中にくらいは権力に阿らない個を抱けるようありたい。実話を基にしたという触れ込みの映画はあまり好きではないが、本作に関してはその実話性が強みであり救い。