ルサチマ

リバーズ・エッジのルサチマのレビュー・感想・評価

リバーズ・エッジ(2018年製作の映画)
3.9
生理的嫌悪感を過剰に演出して、汚れを芸術的に描く嫌らしさや、90年台に岡崎京子が描いた風土をとりあえずなぞってみたような紋切り型のリアクションで捉えていることも許し難いが、吉沢亮のぶっきらぼうでありながらも真摯な声の響きが映画を淀んだ川の底流から宇宙へと引き上げている。

オザケンの『アルペジオ』の歌詞の中にもある通り、本来は本当のことを言う手段としてのインタビューでさえ登場人物は当たり障りのないことに対しては答えるものの、何も本当らしいことなど語ることができずにカメラは堂々とフィクションのように割られる。観客は人物たちがインタビューに答えてる体のフィクションであることを当然知っているのであるし、俳優のインタビューに臨む態度は演じられた受け答えであることを露わにするだけだ。
また、吉川こずえのインタビューでは後ろに雑誌撮影のスタッフが動きまわりながらも、まるでインタビューなど行われてないかのように振る舞われるため、このインタビューは明らかに虚構の空間として認識される。

何も本当のことが言えない少年少女は死体を見て、そこになにかしらの本当の姿を目撃するのだが、身近な猫の死体となれば簡単に嘔吐する。彼女たちにとっては都合のいいどこかの誰かの死体でしか安堵を得ないことが露呈した以上、再び他人の死に立ち会ったとしても、かつてのように簡単に安堵することなど許されるはずはなく、気まづそうに無言で立ちすくむことしかできない。

では死体を失った者たちがその後に生き残る道をどこに見出すのか。
最も顕著な存在として、そこに吉沢亮がいる。彼は死体とともにもう一つの宝物として、遠くから絶対に交われない存在でありつつも、確実に生きて存在している男を見る。
そしてまた、いじめられっ子である吉沢亮は、己の苦しさを紛らわせるために夜の闇に絶対に交われないUFOを見つめることで時間をやり過ごそう(生き抜こう)とする。
つまりは、吉沢亮にとって交われないことの象徴として存在している、好きな男=UFOを遥か彼方にでも、確かにその存在を認知したとき平坦な戦場に生きる少年少女は死と対極の方向へ生きれるのではないか。
何も本当のことがない無力な少年少女は、交わることのできない虚構的存在との奇跡的な交流を待ち侘びることによって僅かな希望を見出そうと願う。

吉沢亮が「生きてる若草さんが好きだ。本当だよ」と呼びかけ、「もう一度UFO呼んでみようよ」と伝えるのは、今後離れ離れになる彼らは交わることがないとしても、それぞれが希望の生を求めようとする共謀のためだ。虚の存在を嘘でも信じてみようとするとき、彼の声は淀んだ川から宇宙へ向かって澄み切った音声で響き渡る。そのことがなによりも感動的だ。

決して好きな作品ではないし、むしろ苦手な作品の対象ではあるのだけれど、この映画が他の嫌いな作品同様に単につまらないと括ることは避けたいし、この映画が目指した吉沢亮の声の美しさはきっと評価に値すると思ってる。
ルサチマ

ルサチマ