平坦な戦場で、僕らはパトロールを続ける。何も変わらないのを確かめるように。
ちょっとでも動くものを見つけたら一斉射撃を浴びせ、荒れた地を均すことに腐心する。
今も昔も、血を流すものは過去に流され、失われていく。
何もなかった、何も起きなかった。
でも、誰かが知っていてくれる、かつて君がそこに立っていたことを。
だから今生きている事を実感できなくとも、死にたいと願う事と同じように、生きていきたいと願う事は誰にでもできる。
死んだら、死にたいと願うことすらできない。
岡崎京子のマンガ『リバーズ・エッジ』をほぼ忠実に描いていた。
マンガの中で重要なポイントとなっていた、主人公の心情を映すモノローグを一切使わず、映像表現だけで語りきっていた。
二階堂ふみと吉沢亮の目が、岡崎京子の描くどこまでも冷ややかな目をそのまま写したようだった。
90年代、他人との距離がどんどん遠くなっていき、色んなものに細かいルールが決められ始めた頃、平和という名の地ならしを皆が一斉に始めた。
「ざまあみろ」
大多数に向かって、聞く耳を持つ者の少なさに途方に暮れながら、静かに吐き捨てる心の声。
諦念の嵐の中で、どこからともなくかすかに聞こえてくる。
でもそれが真実なのだ。