かなり悪いオヤジ

夜の浜辺でひとりのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

夜の浜辺でひとり(2016年製作の映画)
3.8

ホン・サンスの作風が変わったのは、女優キム・ミニとの不倫スキャンダルを経た本作からである。それまでは自分のスタイルに頑なまでに拘る偏屈な作家主義を貫き通していたホン・サンスだが、そのスキャンダルをネタにした本作で(商業主義に陥らない程度に)誰にも伝わらない映画を撮り続けた監督からは少なくとも脱却したようである。

不倫報道のマスゴミ攻撃から逃れるため訪れたドイツ・ハンブルク。そこで撮りためた【断片1】と、韓国一時帰国時の江陵で雲隠れ生活を送る女優(キム・ミニ)の姿が描かれた【断片2】で構成される。劇中「死にたい」「愛される資格がない」「後悔している」などの謝罪会見的台詞がわざとらしく配置されているが、おそらくマスゴミ向けの演技であろう。

キム・ミニを取り巻く登場人物も大幅に増員、一向に姿を現さない不倫相手の映画監督に激昂する女優のシーンが度々見られるものの、「お前は才能がある」「かわいい」「頭がいい」「先輩のファンです」などと女優を大いに持ち上げ機嫌をとる取り巻きたち。映画の中で、のろけてるんだか謝っているのかよくわからないのである。

注目すべきはそんな内輪ネタではない。今まで自分の分身が主人公の映画ばかりだったのに、本作ではそのホン・サンスの分身が女優の◯の中にちょこっと登場するだけ、すっかり姿を消してしまっているのだ。実際ラブラブ真最中の不倫相手はカメラを回している横に、女優のすぐそばにいるのにいるのにも関わらず。“(不倫報道で恥ずかしくて表に出れない)監督の不在”を演出意図としてハッキリと感じとれる。

しかし女優への想いが、撮影される側と撮影する側(女優と映画監督)の一線を突き抜けてしまうのだ。それが、ハンブルクで時間を聞きにきたり浜辺で女優を連れ去った黒づくめのオジサンや、江陵の豪華ホテルの窓拭きオジサンとなって、ひょっこり姿を表してしまっているのである。ヌリ・ビルゲ・ジェイランを思わせるマジック・リアリズモ的演出が実に効いている作品なのである。

女優との一線を越えた監督は、(ベルトリッチのように)性に溺れた怪物となって芸術的な力を失ってしまうことを非常に怖れているようだが、今のところその心配はなさそうだ。神はなぜか、自分で課したルールでがんじがらめになった永平寺の雲水?のような人間には決して与えない芸術的センスを、ホン・サンスのような生活破綻者にだけ与えるのである。