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十六歳の戦争のニューランドのレビュー・感想・評価

十六歳の戦争(1973年製作の映画)
3.0
公開された年に観たが、2~3年のお蔵入り作品ということで、当時ですら鮮度は薄かった。秋吉本人は、この年、山根や今井の作品で原田美枝子と並び、最も目覚ましい活躍をした女優さんだったが、本作は無関係に公開された感があった。’73というと、『旅の重さ』のヒロインを射止め損ねた後の初主演作で、本作での何時にも増して凛とした気負い・台詞廻しが心地いい(歯など矯正前だがもう大器だ)。松本の作品は当時スタイリッシュな短編実験作を少しは観ていたのだろうか。しかし、それよりも、観てはいなくとも数年前のピーターを起用した半風俗・半神話的作品は製作時から話題になってずっと気になっていたし、何よりその著作でメカスと並ぶ映画の見極め方の我々の世代の先生であった。それだけにこの題材はもとから?であった。
吉田喜重作品で知られる脚本家の起用は、一見今の目からは大林作品に見える本作を、はっきり先鋭的ヴィヴィドにしている。しかし、血・魂・死・狂気・不在・戦争・家らへの痛ましく根源的な遡及を、’70年代序盤のフォーク・Νシネマの緩く広い時代の空気のスタイルの中で描いたことの齟齬は残り続ける。
文学少女だったという秋吉も、これが完成から間置かず公開されてたら、その後のオファー・レパートリーも変わっていった気もする。役柄が実生活のキャラまで支配していったような感があるが、もっと理知的な彼女が見れたのではという気もする。’73の夏は、ヴェンダースや石上さんも、作品や連載で触れてたようにJ・フォードの亡くなったことでも記憶される。私は秋吉より少し年下だが、個人的にも、その夏はこの映画と似た一生忘却できぬ、大事な他者の生死にかかわる夢幻的でもある体験をした年であり、その傷は未だ癒えない部分もある。その時にこの作品に触れられてたら、という意味でも変に興業一本槍の決定は好ましいことではない。昨今でも製作本数が急激に増えてることもあって、お蔵入り作品は相当の数になるという。映画史の名作のかなりの数は、永く封印状態で、認知・映画表現の解放が遅れたという歴史がある。
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