このレビューはネタバレを含みます
文学や音楽の世界で使い古された “ 夢で会いましょう ” という言い回しはこの映画の為に作られたセリフと錯覚してしまうくらいしっくりくる心地良さ。
夢は潜在意識の中にある思いが願望となって現れるという。
エンドレとマーリアは現在置かれている状況や人として生きる事に居心地の悪さと生きづらさを感じている。自身の姿を擬人化した雌雄の鹿となってふたりは夢の中で出会う。どうしようもない絶望的な現実の世界から夢の世界への逃避。
“ 素晴らしかったよ… ”
夢の世界で雌雄の鹿として交尾をした後から現実の世界でお互いを恋愛対象の異性として意識し合う。
成熟した肉体と幼児性が同居する危うさを持つマーリア。遅すぎる思春期を経験し表情は和み、美しさに磨きがかかる様を描く過程はあざとさ充分な演出。だがあえてそれに乗っかって鑑賞すると非常に心地良い。
“ 今夜は泊まれます。パジャマも持参してます。”
マーリアの意を決して放った言葉に対して悪意の無い言葉の暴力。プレイモービルのフィギュアでの予習も豹のぬいぐるみとの擬似セックスも無駄に。
並外れた記憶力を持つサヴァン症候群のマーリアにとって時が癒す事すら叶わない。
忘れ去りたい記憶の数々が脳内にしぶとく居座り邪魔をする。
バスルームに向かいガラスの破片をそっとバスタブの縁に置き、これから死への儀式が始まるのを予感させる。
何の躊躇いも迷いも無く余りにもアッサリ自身の肉体を傷つける。
血の匂いがバスルームに広がる。
雄鹿にこの匂いが届けばという淡い期待。
電話中も血が溢れ出て体を伝わり、掃除が行き届いた部屋が瞬く間に赤く染まる。
もどかしい会話と過ぎ行く時間。
サスペンスを観る様な緊迫感…
エンドレには気の利いた言葉は荷が重いと思い始めた。
唐突に…無骨だが
“ 死ぬほどあなたを愛してます。”
“ 私も愛してます。”
夢の世界では長年連れ添ってきたつがいの鹿の様に、かけがえのない充実した時間を過ごし、潤沢な信頼関係を築けていた事を想像させる。
理想の夢の世界を現実の世界で成し遂げ完結したふたりは、今後夢の中で鹿として出会う事は無いと思いたい。