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修道士は沈黙するのニューランドのレビュー・感想・評価

修道士は沈黙する(2016年製作の映画)
2.9
この手の映画のよさはよくわからないと、まず見終わって思った。時制・場・イメージ・無意識・象徴(自然の鳥や犬)・視界・各キャラの自在で余裕ある高尚な切替えと組合せのカッティングとカメラワーク・無論構図も、深い現実と比喩に富んだ世界観の開示と一方の凝り固まらぬユーモアと柔らかさ、を一応打ち出してるも。人物たちの立ち位置がまるでピンとこないし、内容もミステリーも絡めいろんな所に手を拡げこっちに迫って来ない。厳密なる何かを感じることは出来ない。この間口の大風呂敷や高級社会・文化観は、トリュフォに倣えば、イタリア映画のある種の(代表的)傾向で、名優ら競演で一般的称賛も集める事はわかるが。
他人の(幸せの)為ならば自死も認められる、自著に公然と書いてる修道士を主人公とし、それに感化され、金銭の麻薬性に侵され人間性を気にかけず、未知の世界切り拓きに、弱者・貧者切り捨て・悪容認の、世界の秩序・完璧性に向かい、同好の士のエコノミスト+権力者(大国蔵相ら)と共に、秘密裏に創造的破壊たる(国家・政治を越えた)経済・文明の本質への到達に向かう計画(簿外取引を通じ?)実行直前の中心たる国際通貨基金理事(他にも共感者ら)が、迷い気付かされそれを阻止(蓄めるべきは、希望で、公正・公平、神へ向かうべき)すべく促され?自死を決行する話(実際の遺志をより高く実現は神父、観客には理事の本意と余命・神父の前身が明かされてく)である。まぁ、肩凝らずに、一級感覚を味あわせてもらうべきだったのかも、と思いつつ、如何せんショットのひとつひとつに、見せかけの美・真実しか感じられない、これは表現の本物の力ではない(それこそ狙いと言われればそれまでだが)。大きな社会を描くにしても、場・視界を誠実に優しく限定し、そこから本当の権力の怖さを感じさせた、この催しの1本『小さな同志』等の方が、はるかに美しく意味あると思う。
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