開明獣ーREV9

修道士は沈黙するの開明獣ーREV9のレビュー・感想・評価

修道士は沈黙する(2016年製作の映画)
5.0
この作品の内容に関しては黙して語らない。それは、私がこの作品から受けた告解のように。

開明獣のスイートスポットは超狭い。針の穴が、巨大にみえるくらいだ。その直径1ナノ程度のスポットにズボリとはまってくれたのが、この作品。いやーん、H💘

イタリアの思想家の賢人は、古来から数多く存在する。有名どころを列挙すれば、神学のトマス・アクゥイナス、今でも読み継がれている「自省録」で有名なマルクス・アウレリウス・アントニヌス、誰もが知るレオナルド・ダヴィンチ、現代に通ずる古典「君主論」の著者ニコロ・マキャベッリ、マルクス主義のアントニオ・グラムシ、ローマ時代のホモ・サケルを現代で解き明かしたジョルジュ・アガンベン、新たな帝国の定義を打ち立てたアントニオ・ネグリ、などなど綺羅星の如く立ち並ぶラインアップに堂々と名を連ねることの出来る人物が、ウンベルト・エーコである。

この「薔薇の名前」や「バウドリーノ」の著者としても知られる碩学の記号学者は、その博覧強記ぶりにものを言わせて縦横無尽にテクストを連関させるメタフィクションの達人であったのだが、本作品は、まるでエーコの小説を読んでいるのかのようであった。

監督自身は、インタビューで「難しく考えず、一人の生身の男対巨大な権力の話しとして楽しんでよ。西部劇みたいにね。」と話しており、それは確かにその通りだが、各シーンを鑑賞者が多様に解釈して楽しめる設計になっているようで、とても楽しい。

ポストモダン的な解釈では、作品の最終的な価値は鑑賞者の判断によるものとして、自在な読み方を推奨してきた。例えば、古典である「方丈記」を現代の中でどう読み解いていくのかも、その一例であろう。ともすれば、極端、もしくは突飛な解釈すら容認してしまうポストモダニズムは、言葉遊びが過ぎるということで、今では一旦収束しつつある思想体系ではあるけれど、芸術と娯楽の中心に位置する映画という表現媒体を通して、今でもかような諧謔と時に晦渋な意図に満ちた作品があるのは興味深いものがある。

音楽を、「ライフ・イズ・ビューティフル」でオスカーを獲っているニコラ・ピオヴァーニが担当しており、とても美しい調べを聞かせてくれる。ともすれば、大量生産型と揶揄されがちなピオヴァーニだが、この作品では旋律ときちんと対峙しているように思える。

劇中では、シューベルトの「冬の旅人」から最終曲、「ライアー回し」が使われ、エンディングでは、有名な「楽曲の興の3番」が流れるが、これがどういう意図を持つのか想像してみるのも愉しかろう。

言うまでもなく、多義的な解釈の出来るものが、必ずしも優れているという訳ではない。それは一神教と多神教のどちらが優れているかを論じるくらい馬鹿げて意味のないことだ。

一寸の隙もない、荘厳で堅牢な大伽藍のような建築物も美しいが、また一方、張り巡らされた蜘蛛の巣が視点によって、その姿を変えるように、カレイドスコープのような作品もまた楽しくもあるということだ。